高校日本史B
5分で解ける!鎌倉時代5 鎌倉時代の政治2に関する問題
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練習の解説授業
承久の乱後の朝廷と幕府
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承久の乱の結果、 後鳥羽 、土御門、順徳の三上皇が配流され、そのうち 後鳥羽上皇 は隠岐(現在の島根県)に流されました。
また、京都に 六波羅探題 が設置され、幕府が西国の支配権を確立しました。
初代六波羅探題の北条泰時は後の3代執権、時房がその補佐役である連署に就任することになります。
北条泰時が政治を固め、武家法を定めた
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3代執権北条泰時の代になると、執権の補佐である 連署 と、13人の合議制の機関である 評定衆 が正式に設置されました。
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泰時が定めた初の武家法である 貞永式目 (御成敗式目)は、 1232年 に制定されました。
貞永式目の51ヶ条は、武家社会の慣習である 道理 と頼朝以来の政治・裁判の内容である 先例 で構成されていました。
練習の答え
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今回は、承久の乱以後、 北条泰時 の政治を中心に見てきました。
今後も、似たような名前の北条氏が出てきますので、
北条泰時のときに連署・評定衆が設置され、貞永式目も制定された 、としっかり関連付けて覚えておきましょう。
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では、今回の内容を練習問題で確認していきましょう。