高校日本史B
5分でわかる!北条時頼の時代
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この動画の要点まとめ
ポイント
5代執権 北条時頼の時代
これでわかる!
ポイントの解説授業
北条氏の他氏排斥最後の事件、宝治合戦
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5代執権 北条時頼 も、過去の執権と同様、他の有力な御家人を排除しています。
1247年には、北条氏の大きな他氏排斥事件としては最後のものとなる 宝治合戦 (ほうちかっせん)が起こります。
時頼はこの宝治合戦で三浦泰村(みうらやすむら)を滅ぼし、執権としての権力を高めました。
引付衆を設置して、裁判をスムーズに回していく
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時頼は、 裁判事務を行い評定衆を補佐 する、 引付衆 (ひきつけしゅう)を設置しました。
裁判事務を行った役職としても、評定衆を補佐する役職としても、テストにおいてどちらで聞かれても答えられるようにしましょう。
13人の 評定衆 による話し合いで政治・裁判を行っていくことは、利点もありますが、人数が多いのでなかなか決定ができない、という欠点もあります。
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そうすると、裁定しなければいけない裁判がどんどんと溜まってしまいます。
そこで、細かい裁判事務を 引付衆 に任せて、裁判をより早く回していこうとしたのです。
摂家将軍よりランクの高い皇族将軍を擁立
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また時頼は、 宗尊親王 (むねたかしんのう)を 皇族将軍 として擁立します。
皇族なので、今までの摂家将軍(藤原氏)より身分の高い人が将軍になったことになります。
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ちなみに、最初の源氏将軍が3名(頼朝、頼家、実朝)、その後の摂家将軍が2名、皇族将軍が宗尊親王から始まって、計4名います。
なお、時頼は 建長寺 というお寺を建てたりもしています。
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この時頼の政治は、3代執権の泰時としっかり区別する必要があります。
時頼は執権を補佐する 連署 と、合議制の 評定衆 を設置し、 摂家将軍 を迎え入れました。
一方時頼は、評定衆を補佐する 引付衆 を設置し、 皇族将軍 を迎え入れています。
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今回は、鎌倉時代の後半を見ていきましょう。
まず1つ目のポイントでは、5代執権 北条時頼 (ほうじょうときより)の時代について学んでいきます。