高校日本史B

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5分で解ける!鎌倉時代3 鎌倉幕府の構造3(第1問)に関する問題

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5分で解ける!鎌倉時代3 鎌倉幕府の構造3(第1問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
鎌倉時代1・2(鎌倉幕府の構造)の確認テスト【穴埋め問題】

中世12 問題1 問題

解説

これでわかる!
問題の解説授業
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鎌倉幕府の構造に関する確認テストを解いていきましょう。

問題1(1)

中世12 問題1(1) 問題

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1180年に、御家人統制を行う 侍所 が設置されました。
侍所の長官を 別当 と言い、初代別当には 和田義盛 が就任しました。

問題1(1)の答え
中世12 問題1(1) 解答

問題1(2)

中世12 問題1(2) 問題

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1184年に置かれた訴訟・裁判にあたる役職は 問注所 です。
問注所の長官を執事と言い、初代執事には貴族出身の 三善康信 が任命されています。

問題1(2)の答え
中世12 問題1(2) 解答

問題1(3)

中世12 問題1(3) 問題

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1185年、壇ノ浦の戦いがあった年に、京都に置かれた鎌倉幕府の機関を 京都守護 といいます。この京と守護は、承久の乱という戦いの後に、六波羅探題という名前に変わっています。
同じような地方におかれた機関として、九州には 鎮西奉行 がありました。これは、後に鎮西探題と名前を変えることになります。
ちなみに、陸奥(東北)には奥州総奉行が置かれました。

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同じ1185年、国ごとに 守護 が、公領や荘園ごとに 地頭 が設置されました。
地頭の中から、国ごとのリーダーとして守護が選ばれたのでしたね。
地頭になる人は、将軍と 御恩と奉公 の関係を結んで 御家人 となる、ということも思い出しておきましょう。

問題1(3)の答え
中世12 問題1(3) 解答
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鎌倉時代3 鎌倉幕府の構造3(第1問)
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