高校日本史B
5分でわかる!南北朝の動乱
![高校日本史B](http://assets.try-it.jp/assets/modules/utilities/subject_symbol_border_k0_social_japanese_history_b-622d7c52e7d08c2c2339d05e47e0eff5e0ad93701b1c191caa149f9fbd499f83.png)
- ポイント
- ポイント
- 練習
![](http://assets.try-it.jp/assets/modules/components/movie_size-f89110ba4a351d85c483bb12f73c7cf89e2ba13a9174f58b4a38599d28678843.png)
この動画の要点まとめ
ポイント
南北朝の動乱
これでわかる!
ポイントの解説授業
足利尊氏が中先代の乱を鎮圧後、京都に攻め入る
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/kurokawa.png)
後醍醐天皇の 建武の新政 に対する武士の不満が募る中、北条時行が 中先代の乱 (なかせんだいのらん)という反乱を起こします。
北条時行は、鎌倉幕府最後の得宗であった北条高時の息子です。
時行は、建武の新政に不満を持つ武士や北条氏の残党を集め、一時、鎌倉を奪回します。
この乱に対して、 足利尊氏 (あしかがたかうじ)が派遣され、中先代の乱は鎮圧されました。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/kurokawa.png)
しかし鎮圧後、足利尊氏は天皇に反旗を翻しました。建武の新政に不満を持つ武士たちをまとめ、京都に向けて進軍したのです。
一度は敗れますが、湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で楠木正成を破って入京しました。
南朝と北朝に分裂! 長い南北朝の動乱が始まった
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/kurokawa.png)
足利尊氏は入京後、光明天皇を擁立すると、基本政策を記した 建武式目 (けんむしきもく)を出します。法律ではなく、あくまで「このような政治をしていく」という基本方針を示したものです。
追い出された 後醍醐天皇 は京都を出ますが、皇居を京都の南にあった 吉野 に移して、 吉野(南朝)こそが正当な朝廷であると主張 します。
こうして、光明天皇の北朝、後醍醐天皇の南朝が並立したことで 南北朝 の時代が始まります。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/kurokawa.png)
この「南北朝の動乱」と呼ばれる争いは、室町幕府3代将軍の義満の時代、1392年までずっと続いていくこととなります。
![](http://assets.try-it.jp/assets/modules/utilities/logo_black-a711ae7f4c2af1410b916e7066a5e8950d6f2f3a2150e093b6dc878ad8f31d3f.png)
今回は、「 南北朝の動乱 」(なんぼくちょうのどうらん)について学習していきましょう。
まずは、朝廷が 南朝 と 北朝 の二つに分かれた原因から見ていきます。