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5分でわかる!白河院政

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この動画の要点まとめ

ポイント

白河院政

中世5 単語1 白河院政中世5 ポイント1 白河院政

これでわかる!
ポイントの解説授業
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今回は、実際に院政の時代に行われた政治の内容や起こった戦いを、その始まりとなった 白河上皇 から順に見ていきましょう。

白河上皇が院政を開始

中世5 ポイント1 ★仏教崇拝の行まで

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1086年、 白河天皇 は当時8歳の堀河天皇に譲位して 白河上皇 となります。
8歳の天皇が政治を執ることはできませんから、白河上皇が代わって国務を行うことになります。これが 院政 の開始です。
この後、白河天皇は43年もの間、上皇として院政を行っていきます。

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白河上皇は院の警備として武士を雇いました。
これが前回も出てきた 北面の武士 (ほくめんのぶし)です。
また白河上皇は、 法勝寺 (ほっしょうじ)を建立したり、高野詣(こうやもうで)や熊野詣(くまのもうで)という参詣を行ったりと、仏教崇拝に積極的でした。

白河上皇が手を焼いた、南都・北嶺の僧兵による強訴

中世5 ポイント1 ★僧兵の強訴~★天下三不如意の部分まで

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白河上皇は仏教を重んじる一方で、寺院の増長に手を焼くこともありました。
寺院などが出してくる税金などの要求を呑まないと、寺院の兵である 僧兵 が、力ずくで要求を通そうとする 強訴 (ごうそ)をしてしてきたのです。

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白河天皇が 強訴 に手を焼いたのは、お寺の兵士がとてつもなく強い武力をもっていた、というわけではなく、 僧兵が神社の神輿や神木などを担いで、神仏を盾に迫ってきたため、強い態度に出れなかった のです。
例えば、 北嶺 (ほくれい)とも呼ばれる比叡山の 延暦寺 の僧兵は、日吉神社の神輿をかついで、
また 南都 (なんと)とも呼ばれる奈良の 興福寺 の僧兵は、春日大社(かすがたいしゃ)の神木をかついで、それぞれ強訴を行いました。
このように、寺社と神社が手を組んで、自分たちの要求を通そうとしていたのです。

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特に北嶺、つまり延暦寺の僧兵には手を焼いたようで、白河上皇が自分の思い通りにならないものとして挙げたとされる「天下三不如意」(てんかさんふにょい)の一つとして数えられます。
これは、加茂川の水のような天災やすごろくの賽の目のような運と同じくらい 僧兵が厄介であった こと、そして、この3つ以外はだいたい思い通りになったというくらい 白河上皇の権力が強かった ことも示しています。

白河上皇の院政の頃、平氏の平正盛が台頭

中世5 ポイント1 平正盛の部分

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またこの院政の時代には、上皇にとりたてられた武士どうしの手柄争いも始まります。
白河院政の晩年には、北面の武士であった 平正盛 (たいらのまさもり)が、出雲の源義親の乱(みなもとのよしちかのらん)を鎮圧して力を伸ばしていきました。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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