高校日本史B

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5分で解ける!室町時代6 室町時代の政治3(第2問)に関する問題

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5分で解ける!室町時代6 室町時代の政治3(第2問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
室町時代5・6(室町幕府の政治)の確認テスト【一問一答問題】

中世30 問題2 問題

解説

これでわかる!
問題の解説授業

問題2(1)

中世30 問題2(1) 問題

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足利義満は、1391年の 明徳の乱 で「六分一殿」と呼ばれた 山名氏清 を滅ぼしました。
応永の乱では、四国・北九州を滅ぼした 大内義弘 を滅ぼしています。
なお、応永の乱の時、義満は既に将軍職を退いていましたが、権力は持ち続けていました。

問題2(1)の答え
中世30 問題2(1) 答え

問題2(2)

中世30 問題2(2) 問題

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嘉吉の乱の後、将軍の代替わりに際して、「代始めの徳政令」を要求した 嘉吉の土一揆 が起こりました。
これを受けて、室町幕府として初めての徳政令が出されました。

問題2(2)の答え
中世30 問題2(2) 答え

問題2(3)

中世30 問題2(3) 問題

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応仁の乱の後、山城国で争い続けた畠山氏を1485年に追放した国人一揆を 山城の国一揆 と呼びます。
加賀で、一向宗(浄土真宗)の信徒たちが守護 富樫政親 を自殺に追い込んだ一揆は 加賀の一向一揆 です。
加賀では、その後100年にわたる自治が行われました。

問題2(3)の答え
中世30 問題2(3) 答え
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室町時代6 室町時代の政治3(第2問)
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