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5分で解ける!江戸時代の社会経済6(第1問)に関する問題

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5分で解ける!江戸時代の社会経済6(第1問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
江戸時代の社会経済4・5の確認テスト【穴埋め問題】

近世30 問題1 カッコ空欄

解説

これでわかる!
問題の解説授業
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今回は、江戸時代の社会経済のうち、工業や交通の内容について、確認テストを行っていきましょう。
まずは問題1、穴埋め問題を通して理解を深めていきましょう。

問題1(1)

近世30 問題1(1) カッコ空欄

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手工業の経営形態は、17世紀には農村家内工業が一般的でした。
18世紀には 問屋制家内工業 (といやせいかないこうぎょう)が、19世紀にはマニュファクチュアとも呼ばれる 工場制手工業 (こうじょうせいしゅこうぎょう)が発達しました。
工場制手工業は、皆で集まって一緒に別々の作業をする「分業」と「協業」がキーワード でもあります。

問題1(1)の答え
近世30 問題1(1) 答え入り

問題1(2)

近世30 問題1(2) カッコ空欄

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(2)は陸上交通に関する問題です。
街道には、旅宿施設として 宿場(宿駅) が設けられます。
ここに設けられた宿のうち、大名専用のものを 本陣 (ほんじん)といいました。
一方、一般客用の宿は旅籠(はたご)と呼ばれます。
ちなみに、宿場は東海道には53か所あり、最も多いのは中山道の67箇所でした。

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また街道には江戸への「入鉄砲に出女」などを取り締まる 関所 が設けられ、通行手形がないと通過できませんでした。

問題1(2)の答え
近世30 問題1(2) 答え入り

問題1(3)

近世30 問題1(3) カッコ空欄

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今度の(3)は、海上交通に関する問題です。
江戸時代には、海上交通として 河村瑞賢 (かわむらずいけん)が整備した東廻り航路・西廻り航路が利用されました。

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また、江戸と大坂を往復する航路を 南海路 といいます。
この航路では初め 菱垣廻船 (ひがきかいせん)が使われましたが、その後、樽廻船(たるかいせん)がより多く就航するようになりました。

問題1(3)の答え
近世30 問題1(3) 答え入り
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江戸時代の社会経済6(第1問)
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