高校日本史B
5分でわかる!寛政の改革(1)
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この動画の要点まとめ
ポイント
寛政の改革(棄捐令・囲米の制)
これでわかる!
ポイントの解説授業
松平定信が老中として改革を推進
田沼意次が失脚した後、第11代将軍 徳川家斉 (とくがわいえなり)のもとで政治の実権を握ったのは、陸奥 白河 (しらかわ)藩主から老中に抜擢された 松平定信 です。
白河は、今の福島県です。
この松平定信が、 寛政の改革 を主導していきます。
彼の行った政策には、 棄捐令 (きえんれい)、 囲米の制 (かこいまいのせい)、 人足寄場 (にんそくよせば)設置、 旧里帰農令 (きゅうりきのうれい)、 七分積金 (しちぶつきみん)などがあります。
それぞれ内容を見ていきましょう。
借金帳消しの棄捐令、飢饉に備える囲米の制
1789年、幕府は 棄捐令 を出します。
これは、旗本・御家人の 札差 (ふださし)からの借金で、6年以上経ったものについては帳消しとするものです。
そもそも借金をするというのが、幕府がしっかりと給料を払えていないことも原因の一つだったので、このような政策が取られました。
ちなみに札差とは、江戸時代の高利貸しの一つで、旗本・御家人たちの給料の(米)を金に換えてくれる仲介人でもありました。
「棄捐令」は特に漢字が間違えやすいので、注意して覚えましょう。
同じ1789年、 囲米の制 が出されます。
これは、大名に 1万石につき50石 の米を蓄えさせるものです。
天明の大飢饉 で多くの餓死者が出ていたので、 普段から少しづつ備えさせよう という考えです。
富裕者から集めた米は 義倉 (ぎそう)、一般人中心で集めた米は 社倉 (しゃそう)という倉庫に貯蔵され、有事の際に使われました。
享保の改革で出てきた上米の制との違いに注意しましょう。
上米の制は1万石につき100石を幕府に差し出させるもので、名前や内容に似ている部分があるのでしっかり区別して覚えましょう。
今回は、三大改革の二つ目、 松平定信 (まつだいらさだのぶ)の 寛政の改革 (かんせいのかいかく)について見ていきます。
多くの政策が行われましたが、今回学ぶ内容が全て 「松平定信による寛政の改革のできごとなんだ」という意識で学んでいきましょう 。
1つめのポイントでは、定信自身についてと、 棄捐令 (きえんれい)・ 囲米の制 (かこいまいのせい)です。