高校日本史B
5分でわかる!桂太郎内閣① (日露戦争後)
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この動画の要点まとめ
ポイント
桂太郎内閣①(日露戦争後)
これでわかる!
ポイントの解説授業
賠償金が得られず暴動!「日比谷焼打ち事件」
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日露戦争直後の国内の出来事としておさえておきたいのが、日比谷焼打ち事件です。
これは、ポーツマス条約の内容が屈辱的だとして暴動が起きたもので、特に問題とされたのは、賠償金が得られなかったという点です。
日露戦争には17億円という莫大な戦費が投入されたにもかかわらず、それを補填する賠償金が無かったということで、民衆感情が爆発したのですね。
日米関係悪化の契機と韓国の保護国化!
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日露戦争後の外交の状況も確認しましょう。まずは対米関係ですね。
1905年には、日本が利権を得た満州の鉄道について、アメリカの鉄道王ハリマンが共同経営を持ちかけてくるという出来事が起こります。
日本がこれを拒否したことが、日米関係が少しずつ悪化していくきっかけとなりました。
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次に、韓国との関係を見ましょう。
1905年、日本は第二次日韓協約を結んで韓国の外交権を吸収し、韓国を保護国化します。
これに伴い、翌1906年には韓国統監府が設置され、韓国の外交問題、例えば条約の締結などは、韓国統監府がこれを担当することになりました。
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続いて、日露戦争後の状況について確認していきましょう。