高校日本史B

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5分で解ける!幕末の動乱6(第1問)に関する問題

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5分で解ける!幕末の動乱6(第1問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
幕末期の確認テスト【穴埋め問題】

近代09 問題1 カッコ空欄

解説

これでわかる!
問題の解説授業
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まずは問題1、穴埋め問題を通して理解を深めていきましょう。

問題1(1)

近代09 問題1(1) カッコ空欄

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1862年に、薩摩藩の島津久光によって文久の改革が行われ、一橋慶喜が将軍後見職に就きました。
ちなみに、一橋慶喜を補佐する政事総裁職に就いたのは、松平慶永でしたね。
改革後、久光が薩摩藩に帰る途中、藩士がイギリス人を殺傷する生麦事件が起き、翌年の薩英戦争のきっかけとなりました。

問題1(1)の答え
近代09 問題1(1) 答え入り

問題1(2)

近代09 問題1(2) カッコ空欄

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攘夷の不可能性を悟った薩摩藩と長州藩は、薩長同盟を結び相互援助による討幕を目指すことになりました。
この同盟では、薩摩藩側の代表者は小松帯刀と西郷隆盛、長州藩側の代表者は桂小五郎であり、両藩の間を土佐藩士の中岡慎太郎と坂本竜馬が仲介しました。

問題1(2)の答え
近代09 問題1(2) 答え入り

問題1(3)

近代09 問題1(3) カッコ空欄

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1867年10月14日、薩長両藩は、公家の岩倉具視の尽力により討幕の密勅を手に入れました。
しかし同日、15代将軍徳川慶喜は、前土佐藩主の策を受け入れ、大政奉還を行い、将軍職を返上しました。
これに対し朝廷は、12月9日に王政復古の大号令を発し、天皇中心の政治への復帰を宣言しました。

問題1(3)の答え
近代09 問題1(3) 答え入り
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幕末の動乱6(第1問)
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近代

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