高校日本史B
5分でわかる!徳川家茂の時代(3)―開国の影響
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この動画の要点まとめ
ポイント
徳川家茂の時代(3)
これでわかる!
ポイントの解説授業
江戸で品薄が起き、混乱が発生!対策は?
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貿易が始まると、地方・農村に拠点を持つ在郷商人は、商品を江戸を通さず、外国人たちの住む居留地(横浜など)へ直送し、取引するようになりました。
その方が、流通面でも効率的であり、また、外国人に売った方が儲けが大きかったためです。
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しかし、そうすると江戸に品物が出回らなくなり、物価が上昇する(インフレ)などの混乱が発生してしまいます。そこで幕府は、1860年に、五品江戸廻送令を出します。主要な5品(雑穀・水油・ろう・呉服・生糸)について、横浜港への直送を禁止したのです。
しかし、在郷商人たちの反発もあり、上手くいきませんでした。
金銀交換比率の相違が、混乱を招く!
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当時、日本と外国では、金と銀の交換比率が異なっていました。日本では、金1と交換するのに銀5が必要という交換比率でしたが、外国では、金1と交換するのに、銀は15も必要でした。日本よりも外国の方が、金貨の価値が高かったのです。このため、日本の金貨が、外国へ大量に流出しました。
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そこで、1860年、幕府は金の含有量を3分の1に減らした万延小判を鋳造しました。外国と同じ金銀交換比率にすることで、金貨の流出を食い止めようとしたのです。
しかし、金の含有量を減らすということは、貨幣の価値を落とすということです。 貨幣価値を落とすと、今度は物価が上昇(インフレ) し、庶民の生活が圧迫されました。
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貿易開始後の、こうした経済の混乱を受けて、開国したせいで生活が苦しくなったのだという考えが広がりました。
これが、このあと解説する、攘夷(外国排斥)運動の一因となっていきます。
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開国後の国内の経済と政治についてさらに見ていきましょう。
まずは1つめのポイント、開国後の経済情勢についてです。