高校日本史B
5分でわかる!桂太郎内閣① (日露戦争前の政府)
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この動画の要点まとめ
ポイント
桂太郎①
これでわかる!
ポイントの解説授業
「日露協商論」VS「日英同盟論」!
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政府内は、ロシアとの戦争の是非について、意見が分かれていました。
戦争に反対する立場は、日露協商論を唱えました。これは、ロシアに満州を渡して日本が韓国を支配する(満韓交換)などして、協調路線を進もうとするものです。
伊藤博文、井上馨、尾崎行雄などが、この立場でした。
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一方、戦争に肯定的な立場は、日英同盟論を推しました。ロシアとの関係が悪化していたイギリスと同盟を結び、その後ろ盾を得てロシアと決戦しようとするものです。
首相の桂太郎や、外相の小村寿太郎、山県有朋らがこちらの意見でした。
日英同盟が成立し、戦争の道へ!
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結局、首相である桂太郎が主戦派であったこともあり、政府は日英同盟へと進んでいきます。
1902年、日英同盟協約が成立し、いよいよ、ロシアとの戦争が現実味を帯びるようになりました。
日英同盟協約の内容については、一方と他国との交戦中は、もう一方は厳正中立の立場をとる、という点をおさえておくとよいでしょう。
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日露戦争前の政治の状況を見ていきましょう。