高校日本史B
5分で解ける!平安時代1に関する問題
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練習の解説授業
桓武天皇の遷都と政治
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桓武天皇は政治に対する寺院の介入を排除するために、784年に 長岡京 に遷都しました。
しかし、造宮使の藤原種継が暗殺されるなど凶兆が続いたため、794年には 平安京 に遷都しました。
それぞれ、「ナンパしようぜ(784)長岡京」「鳴くよ(794)うぐいす平安京」という語呂合わせなどで覚えてもいいでしょう。
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桓武天皇は、国司を監視する官職である 勘解由使 を設置し、民衆の負担を軽減する施策も行いました。
また、蝦夷討伐のために 坂上田村麻呂 を征夷大将軍に任命しましたが、蝦夷討伐や遷都のために大きな負担が民にかかり、徳政相論を経て、平安京の造営と共に中止されました。
この勘解由使や征夷大将軍はどちらも、律令の後で追加された役職である「令外官」です。
権力を握った嵯峨天皇の政治
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桓武天皇のあと、平城天皇を経て即位した嵯峨天皇は、 薬子の変 で平城上皇に勝利した後、 蔵人所 に任命した 藤原冬嗣 と共に権力を強固なものとしました。
嵯峨天皇は、京都の治安維持のために 検非違使 を設置します。
また、律令の補足・施行細則である 弘仁格式 を編纂し、後の貞観格式、延喜格式と合わせて三代格式と呼ばれます。
練習の答え
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今回は平安時代の最初に出てくる2人の天皇、 桓武天皇 と 嵯峨天皇 を中心に学習しました。
ここでは、どっちの天皇の時に何が起きたかをしっかり区別して覚えるようにしましょう。
この後は、天皇にあまり権力がなく、藤原氏が実権を握る時代が訪れます。
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練習問題で、桓武天皇・嵯峨天皇の治世について振り返っていきましょう。