5分でわかる!ヤマト政権の支配構造
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この動画の要点まとめ
ポイント
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ヤマト政権の時代になると、これまでの時代よりさらに細かい序列が整備されるようになりました。
今回はその上下関係や支配方法を押さえましょう。
一つ目のポイントは、 ヤマト政権の支配構造 です。
ヤマト政権のトップは大王。その下に豪族や平民がいて、支配階級を作っていた
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上の表を見てください。
大王、大臣などの単語が並んでいますが、これらはヤマト政権の役職みたいなもの、と考えてください。
表に「中央」と「地方」とありますが、中央とは「大和」と呼ばれる地方、今の奈良県や大阪府のことです。
地方はそれ以外の地域、と捉えてください。
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まず、ヤマト政権の階級は大きく分けて3つありました。
ヤマト政権の頂点は 大王 (おおきみ)と呼ばれました。
その下に人々のリーダーとなる 豪族 がいて、さらにその下に 部民 (べのたみ)と呼ばれる平民がいる、という構造です。
現代の会社で言うと、大王が社長、豪族が役員、部民が一般社員、という感覚で捉えてください。
それぞれの階級について、詳しく見ていきましょう。
それぞれの役職について、詳しくみていこう
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トップの 大王 は、 後に天皇となる人たち です。
「○○天皇」と呼ばれるようになるのは、次の飛鳥時代からで、このころは大王と呼ばれていました。
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次に、豪族を細かく見ていきましょう。
中央の豪族には、 大臣 (おおおみ)や 大連 (おおむらじ)、 伴造 (とものみやつこ)といった役職が与えられていました。
一方で、地方には 国造 (くにのみやつこ)や 県主 (あがたぬし)という役職の豪族がいて、それぞれの土地を治める権利が与えられていました。
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豪族の下には 部民 と呼ばれる平民が位置します。
平民は 誰に仕えていたのか 、 どんな仕事をしていたのか 、によって呼び名が変わります。
部民のうち、最も重要なのは、それぞれの 豪族に仕えて 、その豪族の支配する土地で耕作などをしていた 部曲 (かきべ)です。
例えば、蘇我氏という豪族に仕えていた部曲は蘇我部、大伴氏という豪族に仕えていた部曲は大伴部、などと呼ばれました。
一方、大王家に仕えて、大王家の土地で耕作などをしていた部民を 名代・子代 といいました。
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また、ヤマト政権には、平民である部民のなかでも、特殊な技術を持ってそれを仕事にしていた人たちがいました。
品部 は、技術者の集団のことです。
陶器を作る陶部(すえつくりべ)、鉄を作って加工する韓鍛冶部(からかぬちべ)などがいました。
伴 (とも)はいわゆる役人、政治をする人たちです。
ヤマト政権の土地支配、屯倉と田荘を区別しよう
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地方には、ヤマト政権に従った豪族と、ヤマト政権に抵抗した豪族がいました。
大王は、ヤマト政権に従って服属した豪族を 国造 に任命して 田荘 (たどころ)という土地を与えました。
ちなみに、田荘は豪族の土地なので、豪族に仕えた平民である 部曲 が耕作していました。
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一方で、抵抗した豪族からはその土地を奪い、ヤマト政権の直轄地にしました。
ヤマト政権の直轄地のことを 屯倉 (みやけ)と呼びます。
服属した豪族の土地が 田荘 、ヤマト政権の直轄地が 屯倉 、という区別をしっかりとつけましょう。
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今回のテーマは、「 ヤマト政権 」の1回目です。
漢字で「 大和政権 」と書くこともあります。どちらでも問題ないので、学校などで習った方で覚えると良いでしょう。