高校日本史B

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5分でわかる!桓武天皇の時代

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この動画の要点まとめ

ポイント

桓武天皇の治世

平安時代1 単語1 桓武天皇の時代平安時代1 ポイント1 桓武天皇の棒部分(左ページ全部)

これでわかる!
ポイントの解説授業
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奈良時代が終わって、今回から、時代は平安時代へと移っていきます。
奈良時代は70~80年ほどしかありませんが、平安時代は400年近くあります。
長い時代の中でどう政治が変化していったかを、しっかりと見ていきましょう。

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今回はその平安時代の1回目、桓武天皇(かんむてんのう)や嵯峨天皇(さがてんのう)の時代について見ていきます。
1つ目のポイントは、桓武天皇の治世です。

平城京から長岡京、そして更に平安京へと遷都

平安時代1 ポイント1 〈784〉の棒~〈794〉の棒、地図含む

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奈良時代には、大きな寺院が政治に対して影響力を持ち、朝廷も無視することができない存在でした。
桓武天皇はそれをよく思わず、784年には平城京から山城の長岡京への遷都を行います。
遷都した新たな都に大きな寺院を作らないことで、政治への影響力を弱めようとしたのです。

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そんな中、長岡京を造る責任者である造宮使の藤原種継が暗殺されたり、洪水が起きたり、疫病が流行ったりと悪い出来事が続き、10年後には同じ山城の平安京へと再び遷都します。
長岡京、平安京の場所は、下の地図でも確認しておきましょう。

長岡京、平安京への遷都
平安時代1 ポイント1 右上の畿内地図

民衆負担を軽減しようとした桓武天皇

平安時代1 ポイント1 〈784〉の棒~〈797〉の手前まで、地図はなし(一部、前とかぶりますがそれはOK)

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桓武天皇は、維持が難しくなっていた律令制度を再建するため、民衆負担の軽減策を打ち出していきます。
まず、長岡京時代の792年に、軍団制を廃止し、郡司の子弟を兵士とする健児の制(こんでいのせい)を制定しました。
「軍団」は、律令に定められた国民の負担の一つで、それぞれの地方で10日間、警備などに当たらなければいけない、というものでした。
しかし、租庸調や雑徭など、様々な負担がある中で、更に負担となる軍団制はうまくいっていませんでした。
そこで、地方のトップである郡司の子どもたちにお給料つきで兵役についてもらうことで、士気も錬度も高い、強い兵士を育てることにしました。これが、健児の制です。

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平安京に遷ってからも、いくつかの民衆負担の軽減策を打ち出します。
まず、国衙(地方の役所)で働く義務である雑徭を、60日以下から30日に減らします。
そして、稲を強制的に貸し出して利稲を取る公出挙の利息を5割から3割に軽減します。
さらに、口分田を分け与える班田の期限を6年から12年に延長しました。これによって、班田を行うために作る戸籍も、12年に1回作るだけでOKとなりました。

地方への対策、勘解由使の設置と蝦夷征討

平安時代1 ポイント1 〈797〉以降左ページ全て

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土着した国司が私腹を肥やすこともあったので、令外官(律令に書かれていない新しい役職)である勘解由使(かげゆし)を設置します。
解由状(げゆじょう)という、国司交代の際の引継ぎ文書を審査することで、国司が仕事をちゃんとしているか、不正をしていないか、などを監視しました。

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桓武天皇は、東北にいた、朝廷に従わない蝦夷の討伐のため、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍に任命して派遣しました。
征夷大将軍、というのは、鎌倉時代以降は各時代の幕府の中心人物にも与えられた官職ですが、この時代は蝦夷征討を担当する官職でした。
坂上田村麻呂は平定を進めていき、東北地方支配の拠点である鎮守府という役所も、以前の多賀城からさらに北の胆沢城(いざわじょう)へと移ります。
また、征討が進むにつれ、更に北に志波城(しわじょう)という城柵も作られました。
この多賀城、胆沢城、志波城の場所も、地図で押さえておきましょう。

蝦夷征討の拠点
平安時代1 ポイント1 左ページ右下の東北地方地図
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このような蝦夷討伐や、最初に出てきた平安京造営には多大な出費と民の負担が必要でした。
蝦夷征討には多くの時間と兵士が必要であり、平安京はとても大きな都だったので、遷都した後も工事をし続けていて、負担が大きくなっていたのです。
そのため、この2つの続行について藤原緒嗣(ふじわらのおつぐ)と菅原道真(すがわらのみちざね)の間で徳政相論(徳政論争)が起こり、最終的に中止となりました。

この授業の先生

黒川 広貴 先生

「どこがテストに出るの?」「どうやって覚えたらいいの?」「どうしたら点数がとれるの?」という疑問に答え、着実に点数を伸ばすための授業を展開。

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