高校日本史B
5分でわかる!徳川家茂の時代(6)―様々な動乱
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この動画の要点まとめ
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徳川家茂の時代(6)
これでわかる!
ポイントの解説授業
長州藩や、各地の尊王攘夷運動
1863年5月10日、幕府は朝廷に対し、この日に攘夷を決行すると約束していました。とはいえ実際には、幕府としては直接的な軍事行動までは想定していませんでした。
そんな中で、長州藩が下関で、アメリカ・フランス・オランダ船を砲撃するという事件を起こします。これを、下関事件といいます。
また、但馬では生野の変、常陸では天狗党の乱といった、尊王攘夷派による、幕府に対する挙兵が行われました。
この頃になってくると、幕府による統制が利かなくなってきていることがうかがえます。
表面化する長州藩と幕府の対立
1864年、京都において、幕府の警備隊である新選組(近藤勇ら)が、長州藩を中心とする尊王攘夷派を襲撃する事件が起こりました。これを、池田屋事件といいます。
長州藩は、報復として京都に攻め込みます。しかし、これは薩摩・桑名・会津の諸藩によって撃退されました。これを禁門の変と呼びます。
2つめのポイント、長州藩の尊王攘夷や、各地の争乱についてです。