高校日本史B
5分でわかる!交通の整備(海上交通)
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この動画の要点まとめ
ポイント
交通の整備(海上交通)
これでわかる!
ポイントの解説授業
河村瑞賢が整備した東廻り・西廻り航路と、江戸~大阪を結ぶ何海路
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当時は 陸路よりも海路の方が、より多くのものを容易に運ぶことができましたが、そのためには航路の整備が必要 でした。
主要な航路としては、東北地方の酒田から本州の東側を廻って江戸までつなぐ 東廻り航路 、同じく酒田から本州の西側を廻って大阪までつなぐ 西廻り航路 がありました。
この2つの航路は、いずれも 河村瑞賢 (かわむらずいけん)によって整備されました。
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また、大坂と江戸を往復する航路は南海路(なんかいろ)と呼ばれました。
この南海路で使われた船の種類としては、大型の 菱垣廻船 (ひがきかいせん)、小型の 樽廻船 (たるかいせん)がありました。
菱垣廻船は、文字通り、船の装飾として「菱形」の格子を使ったことから名付けられました。
初期は菱垣廻船が主流でしたが、 のちには小回りの利く樽廻船が主流になりました 。
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物流としては、 「天下の台所」と呼ばれた大坂にまず物資が集まり、その後最大の消費地である江戸に運ばれる ことが多くありました。
江戸自体はあまり生産に向いた土地ではありません。
そのため、京都に近く「上方」(かみがた)である大坂から、江戸にもたらされる品質の良い品々は下り物(くだりもの)と呼ばれ尊ばれました。
ちなみに、質の良くないものを「くだらない」というのは、「下り物ではない」→「くだらない」という形で、これが語源になっています。
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3つめのポイント、海上交通(海運)について見ていきましょう。