高校日本史B
5分でわかる!農民の抵抗(百姓一揆)
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この動画の要点まとめ
ポイント
百姓一揆
これでわかる!
ポイントの解説授業
命がけで直訴する代表越訴型一揆
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百姓一揆にはいくつかの形式がありますが、まず17世紀に多かったのは 代表越訴型一揆 (だいひょうおっそがたいっき)です。
越訴とは、 正規の手続きを踏まずに領主などに直訴すること です。
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一般的な一揆のイメージとは違って、集団で暴動を起こすのではなく、そうした武力を背景にしつつ、代表のみが訴え出るものでした。
越訴は死刑に値する重罪とされ、 村の代表は命がけで自分たちの主張を伝える しかなかったのです。
こうした訴えを行った伝説的人物として、例えば下総(現在の千葉県)の佐倉惣五郎が有名です。
一般的な一揆のイメージ、惣百姓一揆
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18世紀、つまり江戸の中期に多かったのは、農民が団結して武力蜂起する 惣百姓一揆 (そうびゃくしょういっき)です。
いわゆる一般的な一揆のイメージにあたるものです。
政治の変革を求める世直し一揆
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19世紀の幕末期に増えたのは 世直し一揆 (よなおしいっき)というものです。
一言で言うと、「何でもあり」の一揆です。
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士農工商や幕藩体制などの世の中の仕組み自体を変えろ! という、政治的変革をも求める性格がありました。
甲斐郡内一揆、三河加茂一揆などが大規模なものでした。
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これらの 代表越訴型一揆、惣百姓一揆、世直し一揆をまとめて百姓一揆 、と言います。
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2つめのポイント、農民の抵抗、とくに 百姓一揆 (ひゃくしょういっき)について見ていきましょう。
生活が苦しかったり、政治に対して不満のある農民たちが団結して幕府や藩の領主を襲うことを 百姓一揆 といいます。