5分でわかる!持統天皇の時代
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この動画の要点まとめ
ポイント
飛鳥浄御原令という法律に基づいて、庚寅年籍という戸籍が作られた
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天武天皇の没後、女帝の持統天皇が政治を行っていきます。
持統天皇は、天武天皇の后です。最初は天皇に即位せずに政治をする「称制」を行っていました。
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まず、天武天皇が制定した 飛鳥浄御原令 が施行されます。施行とは、法律が使われるようになることです。
この飛鳥浄御原令に基づいて、 庚寅年籍 (こういんねんじゃく)という戸籍が作成されました。
この庚寅年籍は、律令に基づく最初の戸籍です。
中国にならった都、藤原京
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持統天皇は、694年に大和の 藤原京 に遷都します。
藤原京は飛鳥浄御原宮のすぐ北に位置し、三方を山に囲まれていました。
藤原京は唐の都長安に倣った 都城制 の都で、天皇が政治を執る宮と、民が住む京を分けて造った、計画的帝都です。
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都城制 とは、天皇が政治をする「宮」の周りに計画的に都市を配置して、「京」として作り上げる方法です。
今までの都は、天皇が政治を行う「宮」だけでしたが、そこに都市をくっつけて作るようになったと考えてください。
上の地図でも、今までの都よりも大きく作られたことがわかるかと思います。
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ちなみに、藤原京に遷都した694年は、後に平安時代が始まる年である794年のちょうど100年前だったりもします。
大宝律令が制定され、律令制度の基礎が完成!
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その後、持統天皇が死去すると、持統天皇の孫である文武天皇の時代になります。
この時代には、天武天皇の子である 刑部親王 (おさかべしんのう)と中臣鎌足の子である 藤原不比等 (ふじわらのふひと)らが中心となって、 701年 に 大宝律令 を制定しました。
これまでは行政法や民法にあたる 令 のみでしたが、ここに刑法の 律 が加わり、律令制の政治が始まることになります。
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律令制の詳しい中身については、次回以降で学びますが、ここでは701年、奈良時代になる少し前に、 大宝律令 が作られた、と覚えておきましょう。
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3つ目のポイントは、 持統天皇の政治 です。
天武天皇のあとを継いだ持統天皇を中心に、どのような政治が行われたのか、見ていきましょう。