5分でわかる!元正天皇の治世
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この動画の要点まとめ
ポイント
養老律令や日本書紀が作られた
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元明天皇に代わって、 元正天皇 も女性の天皇(女帝)でした。
元正天皇が即位した後も、政治の実権を握るのは 藤原不比等 でした。
その藤原不比等は718年に 養老律令 を制定します。
これは、不比等が自分の名前を残したいという功名心から作ったもので、実際の内容は、不比等が以前、刑部親王(おさかべしんのう)と共に作った 大宝律令 と大差がなかったようです。
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720年には、飛鳥時代に編纂を命じられていた 日本書紀 がようやく完成しました。
舎人親王 (とねりしんのう)が中心となって作成された歴史書です。
古事記とは「紀」という字が異なるので、書き間違えに注意しましょう。
藤原不比等の死後、長屋王が実権を握り、土地の開墾を促した
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藤原不比等が亡くなると、不比等の子ではなく、皇族の血を継ぐ 長屋王 (ながやおう)が政治の実権を握ります。
この長屋王のもとで、723年、 百万町歩開墾計画 (ひゃくまんちょうぶかいこんけいかく)が出されます。
これは、人口増加によって民に与える 口分田 が不足していたことから、多くの土地を開墾して田を増やすために出されました。
開墾とは、田んぼを作ることですが、田んぼを作るためには大量の水が必要です。
その水を引くための灌漑設備を用意することが難しく、お金も人も足りず、結局は計画倒れに終わってしまいます。
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それを受けて同じ723年、 三世一身の法 (さんぜいっしんのほう)が出されます。
公地公民制では、口分田は民が死ぬと国に返されることになっていました。
しかし、この 三世一身の法 では新たに開墾した土地に限り、三代まで土地を所有できることになりました。
開墾することが得になる法を作ることで、民衆が自分たちで開墾することを促進しようとしたのです。
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この 三世一身の法 によって開墾地は広がりましたが、代わりに私有地を認めることになります。
律令制の原則である「公地公民」(土地と人民は全て国のもの)が崩れ始めたのが、この 三世一身の法 からなのです。
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2つ目のポイントは、 元正天皇の治世 でのできごとについて学んでいきましょう。