高校日本史B
5分でわかる!弥生時代の生活
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この動画の要点まとめ
ポイント
弥生時代の生活(人々の集まり)
これでわかる!
ポイントの解説授業
弥生時代には人が集まり、ムラ同士で戦いが始まった
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弥生時代になると、人々が集まって住む 集落(ムラ) がつくられるようになりました。
集落(ムラ)では、皆で一緒に稲作を行ったり、余った米の管理をしたり、外からの動物や他集落の人々の侵入に備えて見張りを行ったりしました。
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集落同士で戦いが行われていた ことも分かっています。その証拠となるのが、弥生時代の集落の遺跡です。
たとえば、溝で周りをぐるりと囲んだ集落があります。これを 環濠集落 (かんごうしゅうらく)と呼びます。
集落を水で囲うことで、集落の外の人間が出入り口以外から入ってこれない、攻められにくい形になっています。
代表的なものは佐賀県の 吉野ヶ里遺跡 (よしのがりいせき)と、奈良県の 唐古・鍵遺跡 (からこ・かぎいせき)です。
遺跡なので、必ず 都道府県と一緒に覚えましょう 。
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また、山頂や丘陵上に集落を置いたところもあります。こういった集落は 高地性集落 (こうちせいしゅうらく)といいます。
高いところにあるので、攻めてくる相手に対して弓矢が遠くまで届いたり、投石ができたりと有利になりやすいのです。
香川県にある 紫雲出山遺跡 (しうでやまいせき)などが代表的です。
このように、弥生時代には戦いに備えた集落が作られるようになりました。
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戦いに勝った集落は、負けた側を吸収してより大きな集落となります。
そうして大きくなった集落は、 クニ(小国) と呼ばれました。
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弥生時代には人々が集まってムラができ、そのムラ同士で戦いが行われるようになりました。
環濠集落の例として、佐賀県の吉野ヶ里遺跡を、特にしっかりと押さえておきましょう。
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2つ目のポイントは、弥生時代の生活(人々の集まり)です。