高校日本史B
5分でわかる!絵画
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この動画の要点まとめ
ポイント
絵画
これでわかる!
ポイントの解説授業
南北期、北山期、東山期でそれぞれ絵巻物、水墨画、大和絵が発達
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南北朝期のはじめ頃は、既にいくつも取り上げた 絵巻物 (えまきもの)が主流でした。
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北山文化に移るころになると、黒の濃淡と強弱の描画による東洋独特の絵である 水墨画 (すいぼくが)が発達していきます。
この水墨画は、明兆(みんちょう)・ 如拙 (じょせつ)・周文(しゅうぶん)・雪舟(せっしゅう)の順で、それぞれ弟子にに受け継がれます。
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この中で、周文までが北山文化の人物で、中でも如拙の『 瓢鮎図 』(ひょうねんず)が代表的です。
この絵は、「ヒョウタンでナマズを捕まえるためにはどうするか」という臨済宗の 公案 (こうあん)の一つを描いた挿絵です。
公案とは、臨済宗において師匠が弟子に問いかけ、弟子が答えて更に師匠が答える、という問答を繰り返しながら悟りに近づくというものです。
『瓢鮎図』(如拙、北山文化)
![瓢鮎図写真](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/images/k/0/soc_j_his_b/7_0_20_1/k_soc_j_his_b_7_0_20_1_image04.png)
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東山文化になると、 雪舟 が、『 秋冬山水図 』(しゅうとうさんすいず)や『 四季山水図 』(しきさんすいず)を描いて大成しています。
秋冬山水図・四季山水図
![秋冬山水図・四季山水図写真(横につなげる、キャプションあり)](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/images/k/0/soc_j_his_b/7_0_20_1/k_soc_j_his_b_7_0_20_1_image05.png)
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東山文化の中ほどで、水墨画の技術を受け継いだ 大和絵 (やまとえ)が発達しました。
大和絵自体は前からありましたが、これを 狩野正信 (かのうまさのぶ)という人物が大きく発展させます。
水墨画に大和絵の手法を取り入れ、 狩野派 (かのうは)を創始したのです。
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そして、この 狩野派 が、この後の時代に多くの画家と作品を残していきます。
今後、明治時代ぐらいまで「狩野○○」という人物が何人も出てきます。
「どの時代の狩野さんが活躍しているのか」がとても重要になってくるので、まずは「狩野正信が東山文化の人」と覚えておきましょう 。
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今回は、室町文化における絵画の変遷を見ていきます。
初期の南北朝期、3代義満のころの北山期、8代義政のころの東山期に分けながら、何が主流だったかを、どの時期かという事とともに確認していきましょう。