中学歴史

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5分で解ける!応仁の乱と戦国大名の台頭に関する問題

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5分で解ける!応仁の乱と戦国大名の台頭に関する問題

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この動画の問題と解説

練習

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中学歴史21 練習1 カッコ空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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応仁の乱とその影響について、学んだ内容を確認しましょう。

応仁の乱を受けて、戦国時代が始まる

中学歴史21 練習1 上4行(~約100年続く)のみ表示、カッコ空欄

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1467年に京都で起こった戦いの名前は何でしたか?
答えは、 応仁の乱 ですね。

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この戦いのきっかけは、室町幕府第8代将軍の跡継ぎ争いでしたね。
彼の名前は 足利義政 でした。銀閣寺を建てたことでも有名です。

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応仁の乱は、義政の弟と子の後継者争いでした。
細川勝元(弟側)と山名宗全(子ども側)という人物が、それぞれの陣営の総大将として戦ったのです。
彼らはともに、有力な 守護大名 でした。もともと守護として任命された土地で力を付けていたのです。

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応仁の乱の結果、全国で戦が絶えない時代が約100年間も続きます。これを 戦国 時代といいましたね。

答え
中学歴史21 練習1 上4行(~約100年続く)のみ表示、答え入り

下剋上の風潮と戦国大名の台頭

中学歴史21 練習1 下3行のみ表示、カッコ空欄

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戦国時代では、 下の身分の者が実力で上の身分の者を倒して成り上がる 風潮が広まりました。
これを 下剋上 といいましたね。

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身分や家柄などに関係なく、戦いの強さで全てが決まる時代になったのです。
そんな中、守護大名に代わって台頭してきたのが 戦国大名 でした。

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戦国大名は、各地で 独自の法律 を作って支配するようになりました。
これを 分国法 といいましたね。

答え
中学歴史21 練習1 下3行のみ表示、答え入り
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応仁の乱とその影響を、しっかりおさえておきましょう。

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応仁の乱と戦国大名の台頭
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