高校世界史B

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5分で解ける!列強の二極化に関する問題

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この動画の問題と解説

練習

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世界分割と列強の対立7 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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今回は列強の二極化について学習しました。
内容を確認していきましょう。

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の無謀な政策!

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1870年に始まった 普仏戦争 でドイツは フランス と争い、以降両国の関係は悪化していました。もともとドイツはフランスと対立関係にあったのです。

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1888年に ヴィルヘルム2世 がドイツ皇帝に即位すると、ドイツは新たな敵を生み出すことになりました。 海軍の大拡張 を発表して イギリス との対立を深め、 パン=ゲルマン主義 を掲げてバルカン半島への進出をうかがったことで ロシア との対立を深めたのです。

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そんなドイツの帝国主義政策は 3B政策 と呼ばれます。ベルリン・ビザンティウム・バグダードの3都市を接続して中東方面へ進出しようとする政策です。

第一次世界大戦へとつながる国際関係が誕生!

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ドイツとロシアの関係が悪化したことは、列強の国際関係に大きな影響を与えました。両国はビスマルク外交のもとで 再保障条約 を結んでいたのですが、ロシアとの関係が悪化したことを受け、ヴィルヘルム2世は 条約の更新を拒否しました。

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それを見たフランスはロシアに接近し、19世紀末に 露仏同盟 を結びました。この同盟でフランス資本がロシアへ導入されることになりました。

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1902年にはロシアの南下を警戒するイギリスが 日英同盟 を締結し、「光栄ある孤立」状態を放棄しました。

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イギリスは1904年に 英仏協商 を結成すると、1907年には 英露協商 を結成し、ドイツの帝国主義政策に対抗しました。

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こうして成立したイギリス・フランス・ロシアの協力関係を 三国協商 といいます。三国協商と三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)の対立は 第一次世界大戦へとつながっていきました。

答え
世界分割と列強の対立7 練習 答え
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列強の二極化
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