5分でわかる!文学・史書
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この動画の要点まとめ
ポイント
古事記と日本書紀、漢字の違いにも注意!
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歴史書について、『 古事記 』(こじき)と『 日本書紀 』(にほんしょき)がとても重要です。
セットでもありますし、それぞれを区別することも大切です。
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まずは、 「記」と「紀」で漢字が違うことに注意 しましょう。
古事記が712年、日本書紀が720年と、どちらも 8世紀 の初め頃につくられました。
古事記は物語形式ですが、日本書紀は正式な歴史書として、 編年体 (へんねんたい)という年表形式で書かれています。
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古事記は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱した『帝紀』と『旧辞』を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録したもの です。
『帝紀』と『旧辞』は、もっと前の時代からありましたが、中身がまとまっていなかったため、古事記としてまとめなおしたようです。
ちなみに、『帝紀』と『旧辞』は現存していません。
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日本書紀は、天武天皇の子である舎人親王(とねりしんのう)らによってつくられました 。
この日本書紀は、「六国史」(りっこくし)と呼ばれる古代の6つの歴史書の、一番初めのものです。
各国の地理などをまとめた風土記
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朝廷は、713年に諸国に命令を出して、各地の地理や名産物、伝説や伝承などを記録させました。
こうして、各国ごとに作られたのが 風土記 (ふどき)です。
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しかしながら、現在残っているのは5つ(5カ国)の風土記のみで、しかもほぼ完全に残っているものだと、 出雲国風土記 のみです。
出雲国は、今の島根県ですね。
漢詩をまとめた懐風藻、和歌をまとめた万葉集
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続いて、『懐風藻』(かいふうそう)と『万葉集』(まんようしゅう)について見ていきましょう。
『懐風藻』は、漢詩 、つまり中国語で書かれた詩を集めたものです。
高校の漢文の授業で習うような詩ですね。
一方、 『万葉集』は、和歌 、つまり日本語で書かれた詩を集めたものです。
高校の古文の授業で習うような詩、ということです。
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『懐風藻』は、 日本に現存する最古の漢詩集 です。
今やっている 天平文化は、唐の時代の影響を強く受けた文化 でしたね。
まさに、この懐風藻は唐の影響を受けて作られた詩集、と言えます。
淡海三船 (おうみのみふね)や 石上宅嗣 (いそのかみのやかつぐ)らの漢詩が採用されています。
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『万葉集』は、 日本に現存する最古の和歌集 です。
大伴家持 (おおとものやかもち)や 山部赤人 (やまべのあかひと)らが中心となって、様々な歌人によって詠まれた詩をまとめて作ったものです。
大伴家持や山部赤人は奈良時代、この天平文化で活躍した歌人です。
しかし万葉集には、一つ前の飛鳥時代、 白鳳文化の歌人 である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、大伴御行(おおとものみゆき)、額田王(ぬかたのおおきみ)らの歌も収められていることに注意しましょう。
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万葉集には、漢字を日本語の当て字に使う、 万葉仮名 (まんようがな)というものが使われています。
この時代にはまだひらがなやカタカナがなかったので、漢字を使って無理やり表現していたのですね。
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約4500首がまとめられた中で、有名なものを2つ、紹介します。
一つは、九州の警備である防人(さきもり)に行くのがつらいな、ということを歌った『 防人の歌 』です。
もう一つは、 山上憶良 (やまのうえのおくら)が農民の貧しさを歌った、『 貧窮問答歌 』(ひんきゅうもんどうか)です。
ちなみに、山上憶良は遣唐使で唐に行って帰ってきたエリートで、筑前国の国司、つまり地元のNo.1だったので、山上憶良自身は貧しい農民ではありませんでした。
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今回は、天平文化の文学や歴史書、教育などについて学んでいきましょう。
まずは、文学や歴史書について見ていきます。