中学歴史
5分でわかる!鎖国中の対外貿易
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この動画の要点まとめ
ポイント
「4つの口」で交易 鎖国中も外国との交流はあった
これでわかる!
ポイントの解説授業
出島がある長崎・対馬藩がおさめる対馬
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鎖国中でも、地図に示されている4つの場所で、外国との交流が行われていました。
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1つ目は 長崎 です。
ポイント2でも学習したように、長崎では 出島 という人工島が作られ、 オランダや中国(清)との貿易が許可されていました。
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2つ目は、朝鮮半島と九州の間にある 対馬 です。
秀吉が朝鮮出兵を行ったことで、日本と朝鮮の仲は悪くなっていました。
しかし江戸時代には、対馬をおさめていた 対馬藩 を仲介役として、日本と朝鮮との国交が回復したのです。
両国の関係は改善し、日本の将軍が変わるごとに、朝鮮が江戸まで使節を送ってくるようになりました。
この使節を 朝鮮通信使 と呼びます。
琉球王国を支配していた薩摩藩・北海道の松前藩
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3つ目は、現在の鹿児島県にあたる 薩摩藩 です。
ここを治めていた島津氏が、南の 琉球王国を支配に置き、琉球を通じて清などの物品を入手 していました。
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4つ目が、現在の北海道にあった 松前藩 です。
北海道は当時 蝦夷地 と呼ばれ、先住民の アイヌ人 が住んでいました。
当初、松前藩はアイヌ人と交易していましたが、その後彼らをだまして蝦夷地に侵略していきます。
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「4つの口」について、それぞれの場所と、海外との交流の内容をセットで覚えておきましょう。
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江戸時代3のポイント3は、「鎖国中の外国との交易」です。
江戸幕府は外国との交易を厳しく制限し、いわゆる「鎖国」体制をとりました。
しかし、鎖国中も外国との交流が全てなくなったわけではありません。
次の地図を見てください。