高校世界史B

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5分で解ける!朝鮮と東南アジアの民族運動に関する問題

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5分で解ける!朝鮮と東南アジアの民族運動に関する問題

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この動画の問題と解説

練習

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戦間期のアジア諸地域3 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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今回は朝鮮と東南アジアの民族運動について学習しました。
内容を確認していきましょう。

朝鮮でおきた「民族自決」を求める動き!

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1910年の 韓国併合 の後、日本は 朝鮮総督府 を設置して統治にあたりました。

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朝鮮総督府は、憲兵や軍部などの武力による統治を行いました。これを 武断統治 といいます。

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1919年、朝鮮で 三・一独立運動 が発生しました。パリ講和会議で示された 民族自決 の原則に触発された人びとが、各地で「独立万歳」をさけんでデモを行ったのです。

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これを受け、朝鮮総督府は武断統治をゆるめて 文化政治 を行うようになりました。日本語教育や日本文化の強制を通じて、朝鮮の人びとを日本へ同化させようとしたのです。

東南アジアの民族運動!

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第一次世界大戦後、東南アジア各地でも列強からの支配を求める動きが見られました。

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ビルマでは1920年代から民族運動が始まり、イギリス支配からの独立を求めて タキン党 が結成されました。

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インドネシアでは1920年にインドネシア共産党が結成され、1927年には スカルノ を党首とするインドネシア国民党が結成されました。

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インドシナ(現在のベトナム・カンボジア・ラオス)では、ホー=チ=ミンを指導者とする インドシナ共産党 が結成されました。

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フィリピンでは、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトが1934年に 独立を約束 したことを受け、翌年に フィリピン独立準備政府 が発足しました。

答え
戦間期のアジア諸地域3 練習 答え
朝鮮と東南アジアの民族運動
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      戦間期のアジア諸地域

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