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5分でわかる!イギリス支配からの脱却を目指せ

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この動画の要点まとめ

ポイント

イギリス支配からの脱却を目指せ!

高校世界史 戦間期のアジア諸地域6 ポイント1 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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戦間期のアジア諸地域の6回目。
今回は、「イスラーム諸国の動向」について学習します。

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ポイントの1つ目は、「イギリス領イスラーム地域の独立」です。
第一次世界大戦後のイスラーム諸国の中でも、イギリスの支配下におかれていたエジプト・イラン・アフガニスタンの三国に注目します。

エジプトの動向

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第一次世界大戦後、エジプトでは ワフド党 が結成されました。ワフドとは「代表」の意味で、もともとパリ講和会議に送る代表団としてつくられました。

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ワフド党は独立運動を展開し、エジプトは エジプト王国 として独立を認められました。ただし イギリスがエジプトの防衛権を保有する 、つまり常に国内にイギリス軍がいるという条件つきの独立でした。実質的には軍事占領です。

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ワフド党はイギリスに立ち退きを求め、1936年にエジプト=イギリス同盟条約を成立させました。この条約で、イギリスは スエズ運河地帯 を除いてエジプトから撤退しました。

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イギリスにとってスエズ運河はインドに至るための重要な航路であり、ここだけは譲れなかったのです。とはいえエジプトはこの条約によって、ほぼ完全な独立を果たしました。

イランの動向

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イランでは、1796年から カージャール朝 という王朝が成立していました。1914年に第一次世界大戦がはじまると、カージャール朝イランの北部はロシアに、南部はイギリスに占領されてしまいました。

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その後、1917年にロシア革命が起こると、イギリスによる単独占領が始まりました。これを受けてイランでは、弱腰なカージャール朝を倒して、イギリスを追い出そうとする動きが見られました。

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この動きの中、 レザー=ハーン という人物がカージャール朝を打倒し、1925年に パフレヴィー朝 を創始しました。彼はイギリスと交渉して不平等条約を撤廃。さらに国号をペルシアから現在の国名である イラン としたのです。

アフガニスタンの動向

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インドの北部に位置するアフガニスタンは、1879年からイギリスの 保護国 となっていました。20世紀に入ると独立を目指す動きが強まり、1919年の 第3次アフガン戦争 を経て、アフガニスタンはイギリスから独立しました。1919年といえば、第一次世界大戦の終結と同じ年です。アフガニスタンは戦後すぐに独立を果たしたのですね。

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以上、イギリス領イスラーム地域の独立の動きを紹介しました。第一次世界大戦後、これらの地域ではイギリス支配からの脱却を目指す動きがさかんになったのです。

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そして、これらの地域が独立を果たした背景として イギリスがインド反英運動の鎮圧に手一杯だった という事実もおさえておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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