高校世界史B

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5分でわかる!現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!

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この動画の要点まとめ

ポイント

現在まで続く、中東問題の諸悪の根源!

高校世界史 戦間期のアジア諸地域6 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの2つ目は、「中東問題の起源」です。
中東問題とは、中東地域(パレスチナ)をめぐるユダヤ人とアラブ人との争いを指します。過去の出来事ではなく、21世紀の現在でも続いている問題です。

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実はこの中東問題、その起源は第一次世界大戦の頃までさかのぼることができます。詳しく見ていきましょう。

イギリスの秘密協定

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中東問題が発生する原因となったのは、第一次世界大戦中にイギリスが取り交わした 3つの秘密協定 にあります。

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1915年、オスマン帝国と敵対していたイギリスは、アラブ民族と フセイン・マクマホン協定 を結びました。内容は 旧トルコ領にアラブ人国家の建設を約束する というもの。アラブ人の独立を認める代わりに、オスマン帝国への反乱をうながしたのです。

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一方でイギリスは翌年、旧トルコ領を大戦後に 英仏露で分割する という サイクス・ピコ協定 を締結します。1917年には バルフォア宣言 を出して パレスチナにユダヤ人国家の建設を認めました。 パレスチナも旧トルコ領に含まれています。

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これら3つの秘密協定が、後の中東情勢を複雑にし、ユダヤ人とアラブ人の対立を引き起こす原因となったのです。

英仏の統治が中東問題の種をまいた!

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第一次世界大戦後、中東地域は 委任統治 下に置かれました。オスマン帝国やドイツなど敗戦国の領土を国際連盟が預かり、その統治をイギリスやフランスに委任したのです。こちらの地図を見てください。

高校世界史 戦間期のアジア諸地域6 ポイント2 地図のみ

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第一次世界大戦後 イラク・パレスチナ・トランスヨルダン はイギリスの、 シリア・レバノン はフランスの委任統治を受けることになりました。

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ここで皆さんに知っておいてほしいのは、英仏は中東の管理にあたって 民族や宗教の違いを無視し、自分たちに都合のいいように国境を定めた という点です。結果、中東諸国は英仏の定めた国境線のまま独立国となり、民族対立や宗教対立が発生してしまったのです。

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1932年にイラク王国が独立し、次にレバノンが、第二次世界大戦後にヨルダン王国・シリアが独立を果たしました。しかし、これらの地域は独立後も様々な国内紛争・対立を抱えることになったのです。

パレスチナをめぐる問題

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第一次世界大戦中に秘密協定を結んだイギリスは、アラブ人にもユダヤ人にも独立国家建設を約束しました。これを原因として、パレスチナでは両民族による対立が発生。その対立は現在でも続いているのです。

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イギリスやフランスは、民族・宗教事情を無視して国境を定めたうえ、後処理をせず管理を放棄しました。こうした無責任な行動が、現在まで続く中東問題の根源を作ったのです。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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