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5分でわかる!ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?

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この動画の要点まとめ

ポイント

ドイツは「鉄」と「血」で統一する!?

高校世界史 19世紀欧米諸国(1)5 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの2つ目は、「ドイツ統一」です。
ポイント1で説明したように、ドイツ統一の中心となったのはプロイセン王国でした。また、プロイセン王国はプロテスタント国家でしたね。今回はプロイセン王国がドイツを統一していく様子に注目します。

ビスマルクの「鉄血政策」

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1861年、プロイセン国王にヴィルヘルム1世が即位します。彼は、プロイセンの首相にビスマルクという人物を任命しました。

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首相に就任したビスマルクは、とある会議で次のような演説を行いました。ドイツの統一は、演説や多数決などではなく、「鉄」と「血」によって達成されるのだ、と。

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「鉄」とは武器のこと、「血」とは兵士が流す血のことを指します。つまり、彼は武力によってドイツを統一することを宣言したのです。その演説から、彼の政策は「鉄血政策」と呼ばれました。

「プロイセン王国の統一」見出し+テキスト3行+ビスマルクのイラスト

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「鉄血政策」にのっとり、ビスマルクはこの後3つの戦争を行いました。順番に見ていきましょう。

プロイセンが戦った3つの戦争

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1つ目の戦争が、1864年に始まったデンマーク戦争です。ドイツ人が多く暮らすシュレスヴィヒホルシュタインをデンマークが支配していたため、両地域をドイツ人の手に取り戻すべくオーストリアを誘って共同出兵を行いました。

image02の続き3行、地図不要/デンマーク戦争~誘って共同出兵

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デンマーク戦争はプロイセン・オーストリアの勝利に終わり、シュレスヴィヒはプロイセンに、ホルシュタインはオーストリアに割譲されました。しかし、この後両地域の処分をめぐってプロイセンとオーストリアは対立しました。

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さらにビスマルクがオーストリア皇帝を挑発したこともあって、ついに両国はプロイセン=オーストリア戦争を開始しました。この戦争はプロイセンの圧勝に終わり、プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦が成立することになりました。

image03の続き3行/プロイセン=オーストリア戦争~〔盟主〕プロイセン

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プロイセンや北ドイツ諸国は北ドイツ連邦に加わりましたが、西南ドイツ諸国は加わりませんでした。そう、西南ドイツ諸国はカトリックの国なのです。西南ドイツはプロテスタント国家であるプロイセンに反発し、フランスに接触しようとしていました。

ポイント2の地図のみ

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一方、プロイセンに敗れたオーストリアは国家体制の再建をせまられました。複数の民族が暮らす多民族国家であるオーストリアは、長年問題になっていたハンガリーの分離・独立要求に応え、自治権を付与したのです。ハンガリーに自治を認めたのには、領内のスラヴ人の反抗をおさえこむという目的がありました。

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ただし、ハンガリーに完全な独立を認めたわけではありません。自治を与える代わりにハンガリー国王はオーストリア皇帝が兼任することを約束させたのです。こうして、プロイセンに敗れたオーストリアはオーストリア=ハンガリー(二重)帝国となりました。

image04の続き2行/オーストリア~自治を付与

フランスを破り、ついにドイツ統一を達成!

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さて、プロイセンのドイツ統一まであと一歩です。最後の敵はもちろんフランスでした。フランスとの戦争にあたり、ビスマルクはスペイン王位継承問題を利用しました。

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1868年、自由主義者らが革命を起こしたことで、スペイン国王は亡命し、それに伴う後継問題が発生しました。この問題をめぐって、フランス大使がプロイセン王に面会を求め、プロイセンが再びスペイン王位継承に干渉しない約束を取り付けようとした事件があったのです。

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これを知ったビスマルクは、会談の内容を編集しフランスによる不当な要求を、プロイセン王が毅然とはねのけたという内容で、新聞を通じて公表しました。

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これを受けてプロイセン、フランス双方の世論は色めき立ち、両者の間で緊張が高まりました。そしてついにナポレオン3世はプロイセンに宣戦布告し、プロイセン=フランス戦争が始まったのです。

image06の続き5行/スペイン王位継承~最後まで

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プロイセン=フランス戦争は、ナポレオン3世がスダンの地で捕縛されるなど、プロイセンが勝利を収めました。そして頼みのフランスが敗れたことで、カトリックが多い西南ドイツもプロイセンによる統一を受け入れました。こうして、1871年にドイツ帝国が成立し、プロイセンによるドイツ統一が達成されました。

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ビスマルクの「鉄血政策」のもと、プロイセンは徹底した武力行使によってドイツ統一を成し遂げたのです。この授業の内容をしっかり覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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