中学歴史
5分でわかる!五・一五事件とリットン調査団
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この動画の要点まとめ
ポイント
五・一五事件で犬養毅首相が暗殺される 国際連盟も脱退し、国際社会から独立
これでわかる!
ポイントの解説授業
五・一五事件 首相の犬養毅が暗殺される...
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1932年の5月15日、総理大臣の 犬養毅 が暗殺される事件が起こりました。
これを 五・一五事件 といいます。
こちらを見てください。
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写真には犬養毅が写っています。
彼を暗殺したのは 海軍の将校 たちでした。
犬養毅は 満州国建国に反対 の立場をとっていたので、海軍としては面白くなかったのです。
政党政治が終わり、軍国主義が高まる
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五・一五事件の結果 政党政治が終わり、軍人や役人による政治が始まりました。
国民の選挙で選ばれた代表者が話し合いで政治を行うのではなく、軍人が中心となって強力な軍事政権をつくろうという動きが強まったのです。
このような、戦争のために軍事力を優先しようとする考え方や風潮を 軍国主義 といいます。
リットン調査団の報告を受け、日本は国際連盟から脱退!
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1931年の 満州事変 、1932年の 満州国建国 を受け、怒った中国は国際連盟に対し、日本の行動が侵略であると訴えていました。
中国の訴えを受けて、満州には リットン調査団 が派遣されます。
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この写真は、国際連盟から派遣されたリットン調査団が、爆破された 南満州鉄道 を調査している様子です。
調査の結果 満州事変は日本の不当な侵略である として、 満州国の不承認 が決定されました。
中国の訴えが認められたわけですね。
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国際連盟のこの決定に対し、日本はどう対応したか。
なんと、自ら 国際連盟を脱退 したのです。
せっかく手に入れた満州を手放したくないと考えた日本は、国際連盟を脱退し、国際社会から孤立します。
満州事変の後、リットン調査団の報告を不満として、日本が国際連盟を脱退したという流れをおさえておきましょう。
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昭和時代2のポイント2は、「五・一五事件と国際連盟脱退」です。