高校日本史B
5分でわかる!佐藤栄作内閣 (外交・公害)
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この動画の要点まとめ
ポイント
佐藤栄作内閣(公害・外交)
これでわかる!
ポイントの解説授業
韓国との国交正常化!「日韓基本条約」!
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まずは外交の動きから確認しましょう。
この頃、東南アジアではベトナム戦争が本格化していました。
この戦争は、ベトナムに資本主義国家をつくりたいアメリカと、ベトナムと国境の接している社会主義国家の中国などとの対立により生まれたものでした。
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そんな中、1965年、日本は韓国と日韓基本条約を調印し、大韓民国との国交を樹立します。
このとき、韓国の大統領は朴正熙でした。
条約調印が実現した背景には、初代大統領である李承晩が対日強硬派であったのに対し、朴正熙が日本に対する態度を軟化させていたことがあります。
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ちなみに、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは、いまだに国交正常化はなされていません。
高度経済成長の影!「四大公害訴訟」
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佐藤栄作内閣の時代は、高度経済成長のさなかにあり、いざなぎ景気とも呼ばれる好景気に恵まれていました。
そうした産業発展のひずみとして、公害問題が大きな社会問題となり、1967年から69年にかけて、四大公害訴訟が相次いで開始されます。
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四大公害とは、有機水銀を原因とした熊本県の水俣病、富山県の神通川流域で起きたイタイイタイ病、新潟県阿賀野川流域で起きた新潟水俣病、三重県の四日市ぜんそくを指します。
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これらは住民に深刻な健康被害をもたらし、場合によっては命を奪うものでした。
結果的に、訴訟は全て原告側が勝利することになります。
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政府は、こうした公害が発生しないよう、1967年に公害対策基本法を制定します。
また、1971年には公害問題・環境問題を管轄する環境庁を設置しました。
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今回は、佐藤栄作内閣を中心に確認していきましょう。
佐藤栄作は、岸信介の弟にあたります。