5分でわかる!ルイ14世の時代は典型的な絶対王政!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
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ポイントの1つ目は「ルイ14世の政策」です。前回の授業では フランスの絶対王政の始まり について勉強しましたね。今回は フランス絶対王政の最盛期の国王 と名高い ルイ14世 に注目します。
宰相マザランが政治をサポート
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1643年、父親である ルイ13世 の跡を継いで ルイ14世 が即位しました。即位時のルイ14世はなんと 4歳 という若さでした。
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そんな彼の政治を支えたのが、ルイ13世の頃から 宰相 の地位に就いていた マザラン という人物でした。ちなみにこの「マ ザ ラン」という名前、大航海時代に世界一周をした「マ ゼ ラン」と間違えやすいので気をつけましょう。
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1648年、ルイ14世と宰相マザランの政治に対して反乱が起きました。これを フロンドの乱 と言います。パリの 高等法院 (王の命令を審査する機関)や貴族らが、王権の強化を嫌って反乱を起こしたのです。
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結局この反乱は、マザランが上手く対処したことで鎮圧されました。
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このように、ルイ14世の治世の前半には 宰相マザランの大きなサポート があったのです。ただし、マザランは1661年に亡くなってしまいました。マザランの死後は、大人になったルイ14世自らが政治を行うようになりました。
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ルイ14世は「 朕は国家なり 」という言葉を残したと言われています。 私は国家そのものである 、という意味です。「絶対王政」を象徴するかのような言葉ですね。
ルイ14世を支えた優秀な部下たち
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ルイ14世のもとでは 優秀な部下 が活躍を見せました。神学者 ボシュエ は絶対王政を支える政治理論である 王権神授説 を確立し、加えてルイ14世の息子の教育係を務めました。
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財務総監 コルベール は、フランスの財政再建を目指して 重商主義政策 をとりました。国家が直接経済活動に介入することで、経済を活発にしようとしたのです。
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コルベールは経営が危うかった フランス東インド会社 を再建したり、 特権マニュファクチュア を設立して国内産業を保護したりしました。質の良い製品を大量に輸出することで、財政を潤そうとしたのです。
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17世紀後半には、パリ郊外に ヴェルサイユ宮殿 が建設されました。ルイ14世はここで政治の指揮をとるようになります。
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さらにルイ14世は海外領土も拡大しました。部下に北アメリカの ミシシッピ川 流域を探険させ、自分の名を冠した ルイジアナ と呼ばれる植民地を建設したのです。
ナントの王令を廃止!国内産業の衰退につながった
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このように、ルイ14世は自分の思うままに国を動かしました。まさに 典型的な絶対王政の時代 だったわけです。
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1685年、ルイ14世は ナントの王令を廃止 しました。ナントの王令は、ブルボン朝の初代国王アンリ4世が ユグノーに対し信仰の自由を認めた 法令です。
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ルイ14世は自身が熱心な カトリック教徒 だったこともあり、国家の宗教を統一しようとしてナントの王令を廃止したのです。これを受けて、ユグノーは迫害を恐れて国外へ逃亡しました。
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ユグノーの多くは商工業に従事していたため、彼らが逃亡したことで フランスの産業は衰退してしまいました。
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今回は ルイ14世 の政策を中心に、フランス絶対王政の動きを確認しました。ルイ14世の政治は、 宰相マザラン がサポートしてくれた前半期と、彼自身が政治を行った後半期とに分けて勉強すると覚えやすいですよ。しっかり復習しておきましょう。
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主権国家体制と西欧絶対王政、第4回。
今回は「フランスのルイ14世の時代」について勉強します。