中学歴史

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5分でわかる!日露戦争とポーツマス条約

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この動画の要点まとめ

ポイント

日本もついに大国イギリスと同盟関係!日露戦争へと突き進む

中学歴史51 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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明治時代8のポイント2は、「日英同盟と日露戦争」です。
日本がイギリスと同盟を結び、ロシアとの戦争へつきすすんでいく流れを学習します。

ロシアに対抗するため、日本とイギリスが日英同盟を結ぶ

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1902年、日本とイギリスは 日英同盟 を結びます。
当時ロシアと対立していたイギリスは、ロシアが東アジア(朝鮮や中国)に勢力を伸ばしていることに危機感を抱いていました。
そこで、イギリスは 日本と協力してロシアをおさえよう と考えたのです。
こちらを見てください。

中学歴史51 ポイント2 右のイラストのみ表示

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これは 日英同盟の風刺画 です。
4人の人物が描かれているのがわかりますね。
左から順に ロシア・日本・イギリス・アメリカ をあらわしています。

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絵の左端で、ロシアが栗を焼いていますね。
栗にたとえられているのは 朝鮮 です。
ロシアが朝鮮に進出していた様子 が描かれています。
絵の右側では、ロシアに対して イギリスとアメリカが日本をけしかけています。
イギリスは 日本をロシアと戦わせ、ライバルであるロシアの力を弱めようとしていた のです。
朝鮮をめぐる日本とロシアの対立はどんどん強まっていきます。

1904年 日露戦争が始まる

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1904年、ついに日本とロシアの間で 日露戦争 が始まります。
日清戦争と同じく、朝鮮の支配を巡る対立から戦争が始まったのです。

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大方の予想を裏切り、日本は大国ロシア相手に善戦しました。
戦いを有利に進めた日本でしたが、多くの戦死者を出し、お金や物資が不足すると、戦争を続けることが困難になります。
一方ロシアでは、戦争に反対する民衆が革命運動を起こすなど、日本との和平を求める声が高まります。
こうした状況の中、 アメリカが仲介役として両国に停戦を持ちかけたのです。

1905年 アメリカの仲介でポーツマス条約が結ばれる

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1905年、日露戦争の講和条約である ポーツマス条約 が、アメリカの仲介で結ばれます。
ちなみに「ポーツマス」はアメリカの都市の名前です。
ポーツマス条約で、日本はロシアから樺太の南半分などを譲り受けました。
しかし、下関条約のように 賠償金を得ることは出来ませんでした。
日清戦争よりも多くの犠牲者を出し、多くのお金や物資を費やしたのに、賠償金を得られない。
日本国民からは不満の声が上がり、デモ隊の一部が役所や交番を破壊したり、放火したりする事件も発生しました。

中学歴史51 ポイント2 答え全部

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1902年に日英同盟が結ばれ、1904年に日露戦争が始まります。
1905年にはアメリカの仲介でポーツマス条約が結ばれましたが、日本は賠償金を得られませんでした。
日露戦争前後のできごとを整理して覚えましょう。

この授業の先生

松本 亘正 先生

歴史や地理を暗記科目ととらえず、感動と発見がふんだんに盛り込まれたストーリーで展開して魅了。 ときにクスリと笑わせる軽妙な語り口にも定評があり、「勉強ってこんなに楽しかったの!?」と心動かされる子供たちが多数。

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日露戦争とポーツマス条約
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