中学歴史
5分でわかる!富国強兵と学制の発布
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この動画の要点まとめ
ポイント
6歳以上の国民に教育を 学制に人々が反対した理由とは?
これでわかる!
ポイントの解説授業
欧米諸国に追い付け! 「富国強兵」を掲げた明治政府
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明治政府は、欧米諸国が東アジアに勢力をのばしていることに危機感を強めていました。
そこで、政府は「 富国強兵 」というスローガンを掲げ、 産業の発達と軍事力の強化 を目指しました。
軍事力や経済力に優れた欧米諸国に対抗するため、 経済を発展させて国を強くしよう と考えたのです。
1872年 「学制」の公布 全国各地で小学校が造られる
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明治政府は、国を強くするためには 国民に教育を施すことが重要だ 、と考えました。
1872年には 学制 が公布され、小学校から大学校までの学校制度が定められたのです。
特に小学校での教育が重視され、 満6歳になった男女は小学校に通うことが義務付けられました。
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学制の公布をうけて、全国各地に小学校が造られました。
誰もが教育を受けられる世の中が実現しようとしていたのです。
一見すばらしい政策のように思えますが、実は 国民の中には学制に反対していた人もいました。
いったいどうしてでしょうか?
これには大きく2つの理由があります。
学校の建設費は地元の住民が負担! 農家にとっては働き手がいなくなるという問題も…
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1つ目の理由は、 授業料は家庭の負担だったことに加え、小学校の建設費は地元の住民が負担したから です。
現在の義務教育では、基本的に公立の学校の授業料は無料ですよね。
当時は授業料のみならず、学校の建設費までもが国民の負担となったのです。
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2つ目の理由は、特に農家にとって大きな問題でした。
貴重な働き手である子どもが奪われることになるから 、という理由です。
当時は、子どものうちから農作業の手伝いをさせている家庭も多くありました。
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欧米諸国に対抗するため、政府は「富国強兵」を掲げました。
富国強兵政策の一つとして、国民に教育を施すための「学制」が公布されたのです。
しっかり覚えておきましょう。
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明治時代2のポイント1は、「学制の発布」です。