中学歴史
5分でわかる!殖産興業と富岡製糸場
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この動画の要点まとめ
ポイント
殖産興業 世界遺産にも登録された富岡製糸場
これでわかる!
ポイントの解説授業
「殖産興業」 産業をさかんにして生産力を増やす
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明治政府は、欧米諸国に対抗するため 富国強兵 政策を進めました。
「経済力を高め、強い軍隊を持つ」ことを目的とした政策です。
1873年に発布された 徴兵令 は、国民を中心とした軍隊を整備する「強兵」のための政策でした。
一方、国の経済力を高めるため、 西洋の知識や技術を取り入れ、産業の育成を目指す 政策も実施されました。
このような、「富国」のために行われた政策を「 殖産興業 」といいます。
「 産業をさかんにして生産力を増やす 」ことを目的とした政策です。
日本初の官営工場である 「富岡製糸場」が設立される
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殖産興業を掲げる明治政府は、現在の群馬県にある工場を造りました。
こちらを見てください。
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写真に写っているのは 富岡製糸場 のようすです。
富岡製糸場では多くの女性が働き、 生糸 の生産に従事していました。
当時の日本は 生糸とお茶 が主要な輸出品だったので、この2つの生産は特に重視されていました。
ちなみに、富岡製糸場は現在 世界遺産に登録されています。
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富岡製糸場は、日本初の 官営工場 でした。
官営工場とは 政府が経営する工場 のことです。
どうして国がわざわざ経営するのかというと、 海外の高い技術を導入し、民間の工場の模範(お手本)とするため です。
見本となる工場を国が経営して、技術を広めることで、日本全体の産業を育てようとしたのです。
富岡製糸場には フランス の技術が導入され、生糸がさかんに生産されました。
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産業を育て、生産力を増やすための政策が「殖産興業」です。
殖産興業政策にもとづき、官営の富岡製糸場が設立されたことを覚えておきましょう。
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明治時代3のポイント3は、「殖産興業政策と富岡製糸場の設立」です。
まずは、明治政府が掲げた 殖産興業 というスローガンについて説明します。