高校世界史B

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5分でわかる!カンボジアにおける内戦の激化

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この動画の要点まとめ

ポイント

カンボジアにおける内戦の激化

高校世界史 アジア諸地域の紛争2 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの2つ目は「カンボジアの内戦」です。
ベトナム戦争の影響を受け、カンボジアの内戦が激化していく様子を学習します。

ポル=ポト政権の成立

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ベトナム戦争のさなか、アメリカは カンボジア侵攻 を行い、国王シハヌークを追放しました。その後の国王不在の時期のカンボジアを 民主カンプチア(民主カンボジア) と呼びます。

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1973年に パリ和平協定 が結ばれてベトナム戦争が終結すると、米軍はカンボジアから撤退。その影響で、カンボジアを支配していた親米派のロン=ノル政権は力を失い、新たに ポル=ポト が政権を握りました。

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ポル=ポトは親中派の外交を展開し、国内では 中国をモデルにした国づくり を進めました。その一環として結成されたのが 赤色クメール(クメール=ルージュ) という政治組織です。ちなみに「赤」は 共産主義を表す色 です。

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ポル=ポトは中国を見習い、農村を基盤とする極端な 共産主義社会 の建設を目指しました。

「民主カンプチア~」見出し+写真+テキスト

ヘン=サムリン政権の成立

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カンボジアの共産主義化を強力に進めるポル=ポトは、自分に逆らう人々を容赦なく殺害していきました。そんな中、ポル=ポトへの反発を強める人々が結集し、1979年に ヘン=サムリン 政権が成立しました。

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ヘン=サムリン政権は、ポル=ポト政権を倒すため ベトナム軍の支援 を要請しました。その結果、ベトナム軍がカンボジアに侵攻し ポル=ポト政権は崩壊。 こうして、元軍人のヘン=サムリンがカンボジアのリーダーとなりました。

中国の反発!中越戦争

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ただし、この動きに 中国 が反発しました。理由はもちろん 親中派 のポル=ポト政権が倒されたからです。こうして1979年、中華人民共和国とベトナム社会主義共和国との間で 中越戦争(中国=ベトナム戦争) が始まりました。

「ポル=ポトの失脚」見出し+テキスト

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中国は大規模な軍を送りましたが、先のベトナム戦争で経験を積んだベトナム軍は強力でした。そう、中越戦争は ベトナムの勝利 で幕を閉じたのです。こうして、改めてヘン=サムリンがカンボジアを統治することになりました。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

カンボジアにおける内戦の激化
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      アジア諸地域の紛争

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