高校世界史B

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5分で解ける!戦間期のアジア諸地域(第3問)に関する問題

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5分で解ける!戦間期のアジア諸地域(第3問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
戦間期のアジア諸地域/確認テスト(第3問)

戦間期のアジア諸地域8 確認テスト(後半)

解説

これでわかる!
問題の解説授業

問題(1)

問題3(1)

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イラストの人物は誰かわかりますか?彼は 毛沢東 。中国共産党の指導者です。

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短文a。
1931年、毛沢東を主席として 中華ソヴィエト共和国臨時政府 が樹立され、首都は 瑞金 におかれました。この文章は問題ありません。

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短文b。
中国共産党の 初代委員長 とありますが、初代委員長は 陳独秀 です。彼は雑誌『新青年』を刊行した人物でしたね。この文章は誤りです。

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以上から、正解は です。

(1)の答え
問題3(1)答え入り

問題(2)

問題3(2)

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時系列順に並べ替える問題です。選択肢の内容を、年代に沿って整理していきます。

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第一次世界大戦中、イギリスはインドに戦後の自治を約束し、戦争協力を取り付けました。ところが、イギリスは戦後に b:ローラット法 を制定し、インドの民族運動を弾圧しようとしました。これに反発した人々は抗議集会を行いましたが d:武力で弾圧されてしまいました(アムリットサール事件、1919年)。

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ローラット法が制定されると、ガンディーはサティヤーグラハ(真理の把握)を掲げ、第一次非暴力・不服従運動を展開しました。この運動は挫折しましたが、1930年からは第二次非暴力・不服従運動が展開され、その中で a:塩の行進 が行われました。

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事態を重く見たイギリスは、1935年に c:新インド統治法 を制定し、制限はあるものの州レベルでの自治を認めました。しかし「完全なる独立(プールナ=スワラージ)」を求めるインドの人々はこれに納得せず、民族運動は激しさを増していきました。

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以上より、時系列で並べ替えるとb→d→a→cとなります。
正解は です。

(2)の答え
問題3(2)答え入り
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第一次世界大戦後、アジア地域では様々な動きがありました。特に注目したいのが中国とインドです。中国では、反帝国主義運動や、軍閥打倒の動きが生まれました。インドでも、民衆を巻き込んで、イギリスを追い出そうとする運動が起こりました。中国やインド以外の地域、東南アジアや西アジアでも独自の改革や民族運動が展開されましたが、それらの多くは失敗に終わりました。

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この章では、戦間期のアジア諸地域について勉強しました。アジアの中でも、特に中国とインドの動きが大切です。しっかり復習しておきましょう。

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戦間期のアジア諸地域(第3問)
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戦間期のアジア諸地域

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