5分でわかる!ドイツに徹底した復讐を!
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この動画の要点まとめ
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ヴェルサイユ条約の締結
パリ講和会議における話し合いの末、敗戦国ドイツの処分をまとめた条約が完成しました。これを ヴェルサイユ条約 といいます。
1919年6月、ドイツと連合国との間でヴェルサイユ条約が結ばれました。この条約に基づき、ドイツは領土削減や軍備制限など厳しい制裁を受けることになったのです。具体的な内容を確認していきましょう。
海外植民地は全て放棄/アルザス・ロレーヌをフランスへ割譲
ヴェルサイユ条約に基づき、ドイツは 全ての海外植民地を喪失 しました。さらに、古くから領有をめぐって争っていた アルザス・ロレーヌ をフランスへ割譲し、 ポーランド回廊 と呼ばれる地域はポーランドへ割譲されることになりました。
さらに、ドイツとフランスの国境線である ラインラント 地域の非武装化が約束されました。ラインラントは非武装地帯とされ、ドイツの軍隊を置くことが禁止されてしまったのです。
ドイツの領土縮小はまだまだ終わりません。ヨーロッパ有数の炭田を有する ザール地方 は国際連盟の管理下に置かれることになり、さらに ダンツィヒ も国際連盟管理下の自由市となることが決定しました。
徹底的な軍事・経済制裁!
領土の大幅削減に加え、ドイツには厳しい 軍備制限 も課されました。陸軍・海軍は大幅に制限され、空軍は全面禁止、徴兵制も禁止されたのです。
あまりにも厳しい軍備制限によって、ドイツの軍事力は「ヨーロッパ最弱」と言っていいほどに低下しました。
ここまで見てきた内容だけでも、ドイツには過酷な制裁が下されたことが分かりますよね。ただし、ドイツを最も苦しめた内容は他にありました。それは 賠償金の支払い です。
賠償の金額は、ヴェルサイユ条約が締結された時点では未定でしたが、後に総額 1320億金マルク と決定しました。現代の日本円にしてなんと 約200兆円 です!
こんな大金、戦争に負けたばかりの国に払えるはずがありません。この無茶な賠償金が、後々までドイツ経済を圧迫することになりました。
以上のように、ヴェルサイユ条約は徹底的にドイツを弱体化させる内容になっていました。
ちなみに、ドイツへの制裁とは関係ありませんが、ヴェルサイユ条約で 国際連盟 が設置されることも決定しました。合わせて覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ヴェルサイユ条約」です。
パリ講和会議の結果、敗戦国ドイツには 厳しい制裁 が下されることになりました。詳しく見ていきましょう。