5分でわかる!東欧諸国の民主化
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この動画の要点まとめ
ポイント
東欧社会主義圏の消滅
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ソ連が崩壊する少し前、ゴルバチョフ書記長は、東欧諸国の自立化と民主化を促す声明を発表しました。東欧諸国で民主化運動が起きても、これまでのようにソ連が軍事介入を行うことはない、と表明したのです。
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これを受けて1989年、東欧の社会主義諸国では次々に民主化が実現。東欧社会主義圏が消滅することになりました(東欧革命)。ポーランドではワレサ率いるポーランド自主管理労働組合「連帯」が選挙で勝利し、非共産党政権を成立させました。
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ルーマニアでは独裁者のチャウシェスクが処刑され、東ドイツでは社会主義を維持し続けていたホネカー書記長が退陣。その後ベルリンの壁が開放され、1990年にはドイツ統一が実現したのです。
ユーゴスラヴィア内戦
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ただし東欧のユーゴスラヴィアでは、冷戦終結後に新たな混乱が発生することになりました。バルカン半島北部に位置するこの国は複雑な事情を抱えていたのです。
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ユーゴスラヴィアはもともと6つの共和国で構成されていました。クロアティア、スロヴェニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの6つです。
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しかも国内には5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2種類の文字が存在していました。1つの国としてまとまるのは難しそうですよね。
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これまではティトーという指導者が強力なリーダーシップで国をまとめていましたが、彼が死去し、冷戦が終わると、民族対立・宗教対立がどんどん浮き彫りになっていったのです。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナで内戦勃発
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1991年、クロアティアとスロヴェニア、そしてマケドニアが独立を宣言。1992年にはボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立を宣言し、残ったセルビアとモンテネグロは新ユーゴスラヴィア連邦を結成しました。
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このうちボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、ムスリム(イスラーム教徒)・クロアティア人・セルビア人が独立をめぐって激しく対立。クロアティアとセルビアが武力干渉したこともあり、激しい内戦となりました(ボスニア内戦)。
コソヴォ問題
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一方セルビアではコソヴォ問題と呼ばれるトラブルが発生しました。セルビア南部のコソヴォ自治州で、人口の大多数を占めるアルバニア系住民が、セルビアからの独立を求めたのです。
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セルビアのミロシェヴィッチ大統領は「民族浄化」を掲げ、この動きを徹底的に弾圧しました。アルバニア系住民に対する虐殺行為は国際社会の非難を集め、1999年にはNATO(北大西洋条約機構)軍が介入しセルビアへの空爆を行いました。
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セルビア空爆では、多くの一般人も巻き込まれ、死亡する事態になりました。
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東欧諸国では民主化が進んだものの、ユーゴスラヴィアでは民族・宗教対立から内戦が発生することになったのです。しっかり覚えておきましょう。
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ポイントの2つ目は「東欧諸国の民主化」です。
冷戦が終わったあと、東欧諸国でどんな動きがあったのかに注目します。