高校世界史B

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5分でわかる!ソ連陣営はガタガタ!?

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この動画の要点まとめ

ポイント

ソ連陣営はガタガタ!?

第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り4 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの2つ目は「ソ連陣営の動揺」です。
キューバ危機以降、ソ連を中心とする社会主義陣営が崩れていく様子を学習します。

ブレジネフ、米と協調して軍縮を行う

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1964年、ソ連では フルシチョフが解任されました。 キューバ危機や国内問題への対応に批判が集まったためです。

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フルシチョフ解任を受け、新たに書記長となったのは ブレジネフ という人物でした。彼はアメリカと協調して 軍縮 に取り組みました。

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1968年には 核拡散防止条約(NPT) が成立し、その後は米ソ間で 第1次戦略兵器制限交渉 (SALT1)、次いで 第2次戦略兵器制限交渉 (SALT2)が行われました。

軍縮交渉の最中、ソ連がアフガンへ軍事介入!

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アメリカと協調して軍縮を進めるソ連でしたが、なんと1979年に アフガニスタンへ軍事介入 を行いました。同国で誕生した社会主義政権の支援が目的でした。

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この行動にアメリカは激怒。アメリカは第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)で成立した条約への批准を拒否し、交渉は白紙に戻ってしまいました。

「ブレジネフ~」見出し+テキスト6行/~軍事介入(1979)

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ブレジネフの時代のソ連は、軍縮を進めるかと思いきやアフガニスタンに侵攻するなど、外交の軸がぶれていたのです。

東欧諸国がソ連から離脱!?

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アルバニアのホジャ政権は、1961年にソ連との国交断絶を表明。ルーマニアの チャウシェスク政権 は、1965年から 対ソ独自外交 を展開しました。このように、東欧諸国が次々とソ連から離れていきました。

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チェコスロヴァキアでは、1968年に 「プラハの春」 と呼ばれる民主化運動が発生。 ドプチェク 政権が成立しましたが、ドプチェクはソ連の軍事介入を受けて辞任に追い込まれてしまいました。

image02の続き5行/アルバニアの対ソ断交~

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「プラハの春」は軍事介入により鎮圧されてしまいましたが、東欧諸国は次々とソ連から離れていきました。また、ソ連の外交方針も軸が定まっておらず、アメリカとの軍縮交渉が中断されてしまいました。

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ブレジネフの時代、ソ連がどういう動きをとったのか、しっかり覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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