高校世界史B

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5分でわかる!ソ連がアメリカに歩み寄る!?

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この動画の要点まとめ

ポイント

ソ連がアメリカに歩み寄る!?

高校世界史 冷戦激化と西欧・日本の経済復興4 ポイント1 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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冷戦の激化と西欧・日本の経済復興、第4回。
今回は「日本の成長と冷戦の転機」について学習します。

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ポイントの1つ目は「米ソの歩み寄り」です。
冷戦が続く中、ソ連のある指導者が方針を転換したことをきっかけに、米ソは歩み寄りを見せるようになりました。詳しく見ていきましょう。

フルシチョフ、米ソの「平和共存」を主張!

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1953年、ソ連の指導者 スターリンが死去 すると、同年に フルシチョフ が書記長に就任しました。フルシチョフは、これまでのソ連には見られなかった新たな外交方針を掲げました。アメリカなどの国々と 平和共存 を目指したのです。

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彼は1956年の ソ連共産党第20回大会 で平和共存路線を示しました。また、大戦中にスターリンが反対派を粛清していたことなどを批判しました( スターリン批判 )。

「フルシチョフ~」見出し+イラスト+テキスト

「雪どけ」

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フルシチョフ就任後、米ソの関係は改善されていきました。1955年には米・ソ・英・仏の首脳による ジュネーヴ4巨頭会談 が開催され、各国が 平和共存 を確認しました。

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さらにソ連は同年に 西ドイツとの国交を回復 させました。こうして、米ソの対立関係は少しずつ緩やかになっていったのです。この時期のことを、ソ連の作家エレンブルグの小説の題名をとって 「雪どけ」 と表現することがあります。

「雪どけ」見出し+テキスト

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さらにフルシチョフは コミンフォルム(共産党情報局)を解散 させたほか、ソ連の指導者として初めて アメリカ訪問 を行いました。フルシチョフは、当時の米大統領 アイゼンハワー とキャンプデーヴィッドで会談。両首脳がにこやかに会談する様子は、世界中の多くの人々に歓迎されました。

平和路線が思いもよらぬ結果に!?

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フルシチョフが行ったスターリン批判は、米ソ関係を改善する一方、思いもよらぬ結果をもたらしました。なんと社会主義陣営の国々の一部が 民主化運動 を起こし、ソ連支配から脱却しようとしたのです。

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ポーランドでは ポーランド反政府反ソ暴動(ポズナニ暴動) が起こりました。ただしこの暴動は、政治家の ゴムウカ がポーランドの自主路線を人々に約束したことで鎮静化しました。

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ハンガリーでは ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件) が起こりました。 ナジ=イムレ が首相に就いて指導しましたが、この暴動はソ連の軍事介入により失敗。ナジ=イムレは処刑されてしまいました。

「ソ連支配に対する民主化運動」見出し+テキスト

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フルシチョフの平和共存路線は、米ソ関係の改善につながりました。しかし、一方では社会主義国での暴動を引き起こすきっかけともなったのです。それぞれの動きをしっかり覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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