5分でわかる!イランの植民地化!
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この動画の要点まとめ
ポイント
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ポイントの1つ目は「イランの植民地化」です。
19世紀には、イランの植民地化をめぐって イギリスとロシアが熾烈な争いを繰り広げました。 これから、イランが植民地化されていく流れと、イラン側の 抵抗運動 について説明していきます。
カージャール朝の時代/ロシアがイランに侵攻!
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イランでは1796年から カージャール朝 という王朝が成立していました。こちらを見てください。
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地図にはカージャール朝(イラン)の位置が示されています。そして、その北方に「 ロシアの南下 」という書き込みがあるのが分かりますか?
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イランのすぐ南側には ペルシャ湾 が広がっています。 南下政策 を進めるロシアは19世紀に、ペルシャ湾を通って海に出ようと考えイランに侵攻してきたのです。
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カージャール朝はロシアとの戦いに敗れ、1828年に トルコマンチャーイ条約 を結ぶことになりました。ちなみに1つ注意して欲しいのが、条約名に「トルコ」と入っていますが オスマン帝国とは何の関係もありません。 カージャール朝(イラン)とロシアとの間に結ばれた条約で、トルコマンチャーイはイランの地名です。
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ロシアはトルコマンチャーイ条約によって アルメニア と呼ばれる高原地帯の大半を領有し、さらにイランに対して 治外法権 を認めさせました。
バーブ教徒の乱/政府による厳しい弾圧
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トルコマンチャーイ条約締結の際、カージャール朝はロシアの要求をほぼ無抵抗で受け入れました。そんな弱腰なカージャール朝を見て、イランの人びとは不満を募らせていきました。
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1848~1850年の バーブ教徒の乱 は、そうした不満が爆発する形で発生しました。バーブ教はイスラーム教シーア派の一分派で、貧困農民を中心に信仰を集めていた宗教です。
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バーブ教徒は国内の封建勢力や イギリス・ロシアなどの外国勢力 への屈従に反対し、反乱を起こしました。しかしこの反乱はイラン政府による激しい弾圧を受けて鎮圧されてしまいました。
タバコ=ボイコット運動
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バーブ教徒の乱からはかなり後の話になりますが、イランではイギリスに対する タバコ=ボイコット運動 が発生しました。
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カージャール朝がイギリス人の業者に タバコの販売独占権 を与えたことに、イラン国内の商人やウラマー(知識人)たちが反発したのです。
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イランはイスラーム教の国家であり、イスラーム教では お酒を飲むことが禁止されています。 お酒を飲めないイスラーム教徒にとって、タバコを吸うことは大きな楽しみの1つだったのです。そんなタバコの販売独占権を政府がイギリス人業者に認めたからこそ、商人たちはボイコット運動を展開しました。
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ロシアやイギリスが圧力を強めたイランでは、バーブ教徒の乱やタバコ=ボイコット運動といった抵抗運動が発生しました。しかしこうした抵抗も空しく、イランの植民地化は進展していくことになるのです。
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アジア諸地域の植民地化、第6回。
今回は「イラン・アフガニスタンの植民地化」について学習します。