高校世界史B

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5分で解ける!ウィーン体制の成立と崩壊(第2問)に関する問題

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この動画の問題と解説

問題

一緒に解いてみよう
ウィーン体制の成立と崩壊/確認テスト(第2問)

高校世界史 ウィーン体制の成立と崩壊6 確認テスト(後半)問2

解説

これでわかる!
問題の解説授業

問題(1)

問題2(1)

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ナポレオン が失脚した後、フランスでは ブルボン朝 が復活しました。ブルボン朝は次第に反動政治を強化したため、国民は不満を抱くようになりました。この不満を外にそらそうと、国王 シャルル10世 が出兵した場所といえば?そう、正解は アルジェリア です。

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「アルジェリア出兵」自体は成果を挙げましたが、フランス国民の不満を解消することはできませんでした。同年に 七月革命 が勃発し、シャルル10世はイギリスに逃亡することになったのです。

(1)の答え
問題2(1)答え入り

問題(2)

問題2(2)

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フランクフルト国民議会 は、ドイツ統一の方針をめぐって、大ドイツ主義と小ドイツ主義が激突した会議です。これは 二月革命 の影響で開かれた会議なので、この選択肢は誤りです。

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マッツィーニがローマ共和国を建国した のも二月革命の影響です。
コシュートがハンガリーで民族運動を率いた のも二月革命の影響です。

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①~③が誤りなので、消去法で正解は となります。
ベルギーの独立 は七月革命の影響です。

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七月革命の影響で、 ベルギー 独立や ポーランド 蜂起、 ドイツ 反乱や イタリア 反乱が起こりました。二月革命の影響として、 ウィーン 三月革命や ハンガリー 民族運動、 フランクフルト国民議会イタリア 民族運動など「諸国民の春(1848年革命)」と呼ばれる動きがありました。七月革命の影響と二月革命の影響を、混同しないように覚えておきましょう。

(2)の答え
問題2(2)答え入り

問題(3)

問題2(3)

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ハイチ はラテンアメリカで最初の独立国です。その独立運動を率いた 黒人指導者 といえば?
正解は トゥサン=ルヴェルチュール です。
彼自身は、独立運動の途中で ナポレオン軍 に捕まり獄死してしまいましたが、彼の指導によりハイチは独立を達成することができたのです。

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トゥサン=ルヴェルチュールは、ラテンアメリカの独立運動指導者の中では珍しく 黒人 でした。シモン=ボリバルやサン=マルティンなど、他の指導者の多くは クリオーリョ と呼ばれる 白人地主 でした。

(3)の答え
問題2(3)答え入り

問題(4)

問題2(4)

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ポルトガルから独立を達成した という記述がヒントです。
正解は ②ブラジル ですね。

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①メキシコ、③ベネズエラ、④アルゼンチンはいずれも スペイン の支配からの独立です。「 ポルトガルから独立 」したラテンアメリカの国とヒントがあれば、 ブラジル を思い浮かべられるようにしておきましょう。

(4)の答え
問題2(4)答え入り
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ウィーン体制の成立と崩壊(第2問)
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ウィーン体制の成立と崩壊

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