5分でわかる!金持ちしか相手にしてくれない!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「フランス二月革命の勃発」です。
前回の授業では、フランスで 七月革命 が発生する様子を学びました。フランス革命によってブルボン復古王政が打倒され、絶対王政の時代に逆戻りする心配はなくなったのです。しかし、この後フランスではもう一度「 革命 」が起こることになりました。いったい何があったのでしょうか?
新国王は金持ちだけの味方!?
七月革命によりブルボン朝が倒れた後、新たなフランス国王に ルイ=フィリップ が即位しました。そして、七月革命によって成立したフランスの新たな政治体制を 七月王政 と呼びます。
絶対王政を倒したフランス国民は、国民のことを考えた政治を期待していました。しかし、ルイ=フィリップは国民全員ではなく、少数の「 お金持ち 」のための政治を行ったのです。
その顕著な例が 極端な制限選挙の実施 です。なんと、当時のフランスでは 人口の1%にも満たない高額納税者にしか選挙権が認められていませんでした。
男性普通選挙を求め、選挙法改正運動が展開される
当時のフランスは 産業革命 を迎えており、中小産業資本家や労働者の数が増加していました。しかし、選挙権が認められているのは一部の高額納税者だけ。彼らは男性普通選挙の実現を求め 選挙法改正運動 を展開しました。
二月革命の発生!
選挙法改正運動は広がりを見せましたが、 国王ルイ=フィリップは彼らの要求に応えようとしませんでした。 そこで1848年、七月王政を打倒すべく、パリで労働者や学生らが蜂起しました。これを 二月革命 といいます。
マルクスの思想が革命に影響を与えた
二月革命の発生と同年同月に、ドイツ出身の思想家 マルクス は『 共産党宣言 』を発表しました。この宣言でマルクスは「 万国のプロレタリア(労働者)よ、団結せよ! 」と訴えかけたのです。彼の思想は革命の担い手となった労働者たちに大きな影響を与えました。
二月革命によって七月王政は打倒され、フランスは再び国王がいない時代に突入しました。次のポイントでは、二月革命がヨーロッパ各地に与えた影響に注目します。
ウィーン体制の4回目。
今回は、「ウィーン体制の崩壊」について学習します。