高校世界史B

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5分でわかる!ラテンアメリカの独立

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この動画の要点まとめ

ポイント

ラテンアメリカの独立!

高校世界史 ウィーン体制2 ポイント2 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの2つ目は、「ラテンアメリカ諸国の独立」です。
ウィーン体制への反発は、ヨーロッパにとどまらず ラテンアメリカ にも広がりました。ラテンアメリカとは カリブ海や南アメリカ大陸の国々が含まれる地域 のことです。今回は、ラテンアメリカ諸国が独立を果たしていく様子を紹介します。

ハイチ独立/トゥサン=ルヴェルチュールの活躍

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1804年、カリブ海に浮かぶ小国 ハイチ がフランスからの独立を達成しました。ハイチは本当に小さな国なのですが、この独立には世界史的に大きな意味があります。ハイチは ラテンアメリカ諸国で初めて 独立を成し遂げたのです。

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ハイチの独立を指導したのは、黒人の トゥサン=ルヴェルチュール という人物でした。ハイチは当時 フランス に支配されていたのですが、1789年から始まった フランス革命 の影響を受けて、黒人たちが 奴隷からの解放やフランスからの独立 を求めて蜂起したのです。

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トゥサン=ルヴェルチュール自身は、独立運動の途中でフランスの ナポレオン軍 に捕まり、独立を果たす前に亡くなってしまいました。しかし、彼の活躍によってハイチはフランスからの独立を果たすことができました。

「ハイチ独立」見出し+イラスト+テキスト

ベネズエラやコロンビアの独立/シモン=ボリバルの活躍

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ハイチ独立後、ラテンアメリカの他の国でも独立運動がおこり、次々に独立が果たされることになりました。こちらを見てください。

「シモン=ボリバル」見出し+イラスト+テキスト

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19世紀前半には シモン=ボリバル の活躍によって、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビアなどが独立を果たしました。このシモン=ボリバルという人物は、ラテンアメリカで生まれた 白人地主(クリオーリョ) でした。

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シモン=ボリバルは、ナポレオンの対外遠征によりヨーロッパが混乱している状況を見て、この混乱を独立の好機ととらえました。当時ラテンアメリカの多くは スペイン によって支配されていたのですが、ナポレオンがスペインを支配したことで、その支配は弱まったのです。

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ちなみに、シモン=ボリバルが独立を指導した ボリビア の国名は、彼の名前に由来しています。

アルゼンチンやチリの独立/サン=マルティンの活躍

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シモン=ボリバルと同時期に サン=マルティン という人物も活躍しました。サン=マルティンも、シモン=ボリバルと同じく 白人地主(クリオーリョ) でした。サン=マルティンの指導によってアルゼンチン、チリ、ペルーが独立を達成したのです。

「サン=マルティン」見出し+イラスト+地図+テキスト

その他の独立国

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ここまで紹介した国以外にも、 メキシコブラジル などが独立を果たしました。こちらを見てください。

「その他の独立国」見出し+テキスト

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以上のように、ウィーン体制への反発はヨーロッパにとどまらず ラテンアメリカ にも影響を与え、多くの国々が独立を果たすことになりました。

欧米列強の反応は?

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ここで一つ気になることがあります。ラテンアメリカ諸国が次々に独立を果たす様子を見て、アメリカやヨーロッパの指導者たちはどのような反応を見せたのでしょうか?こちらを見てください。

「列強指導者の対応」見出し+テキスト

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オーストリアの メッテルニヒラテンアメリカの独立運動を弾圧しようとしました。 ラテンアメリカ諸国の独立を許すことで、独立や革命の動きがヨーロッパにも広がることを警戒したのです。

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イギリスの カニング はラテンアメリカの独立に賛成の立場でした。彼はラテンアメリカを イギリスの製品市場にしようとしました。 つまり貿易相手として自国の製品を売りつけようと考えたのです。

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アメリカの モンロー米・欧両大陸の相互不干渉 を提唱しました。アメリカ大陸の事情にヨーロッパ諸国が干渉することを否定し、オーストリアのメッテルニヒをけん制したのです。モンローが発表したこの声明を モンロー宣言(教書) といいます。モンロー宣言を受けて、オーストリアのメッテルニヒはラテンアメリカへの干渉を断念することになりました。

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独立運動の指導者の活躍に加え、イギリスやアメリカが間接的に独立を支援したこともあって、ラテンアメリカ諸国は次々に独立を達成することができたのです。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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ウィーン体制の成立と崩壊

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