5分でわかる!イラン世界の繁栄
![高校世界史B](http://assets.try-it.jp/assets/modules/utilities/subject_symbol_border_k0_social_world_history_b-e7d5b0931ab9e3dc12ecbc3dec192b232a2da46d0b0c518b8473df6454bb661a.png)
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
![](http://assets.try-it.jp/assets/modules/components/movie_size-f89110ba4a351d85c483bb12f73c7cf89e2ba13a9174f58b4a38599d28678843.png)
この動画の要点まとめ
ポイント
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
ポイント3では、このサファヴィー朝に注目します。まずは領土を確認しましょう。こちらを見てください。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
対外遠征を繰り返したティムール朝と比べると、中央アジア付近の領土などが縮小しています。 遊牧ウズベク による侵入がその理由です。
神秘主義教団の指導者、イスマーイールが建国
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
サファヴィー朝を創始したのは、 神秘主義教団 の指導者だった イスマーイール という人物です。彼は都を タブリーズ に置きました。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
神秘主義教団とは、 神との一体化 を目指し、その方法を民衆に布教する組織です。イスマーイールはその カリスマ的な指導者 でした。
宗教で国を統一しよう!
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
イスマーイールは考えました。ティムール朝は異民族の侵入で滅んでしまった。もしまた侵入されたら、サファヴィー朝は大丈夫なのかと。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
そこで彼は 国民の仲間意識を高めよう としました。具体的には、イスラーム教 シーア派 の一派である 十二イマーム派 を国教化したのです。同じ宗教を信仰させることで、国民を団結させようという狙いがありました。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
さらに、イランの伝統的な王号 シャー を名乗ることで、サファヴィー朝が正統なイラン王朝であることをアピールしました。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
サファヴィー朝が国教としたことで、この地域では シーア派 の信徒が圧倒的多数を占めるようになりました。そのため 現在のイランでもシーア派が多数派を占めているのです。
サファヴィー朝の全盛期!アッバース1世
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
サファヴィー朝は アッバース1世 のもとで全盛期を迎えました。彼は1597年に イスファハーン に都を移します。イスファハーンは 東西交易の中継地 として栄え、その繁栄は「 世界の半分 」と称されるほどでした。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
アッバース1世は、イスファハーンに モスク を建立しました。モスクとは イスラーム教の礼拝施設 のことでしたね。さらに1622年では、ペルシャ湾の出入り口に位置する ホルムズ島 をポルトガルから奪回し、海上交易ルートを確保しました。
![lecturer_avatar](https://d12rf6ppj1532r.cloudfront.net/shinzato.png)
以上、サファヴィー朝の歴史を紹介しました。ティムール朝の滅亡後、サファヴィー朝のもとでイラン世界が繁栄したことをおさえておきましょう。
![](http://assets.try-it.jp/assets/modules/utilities/logo_black-a711ae7f4c2af1410b916e7066a5e8950d6f2f3a2150e093b6dc878ad8f31d3f.png)
ポイントの3つ目は「サファヴィー朝の繁栄」です。
1507年に ティムール朝が滅亡 すると、イラン世界では サファヴィー朝 が台頭しました。