高校世界史B

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5分で解ける!フランク王国の発展に関する問題

26

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この動画の問題と解説

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高校世界史 中世ヨーロッパ世界の成立2 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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今回はフランク王国の発展についての学習でした。
内容をおさらいしていきましょう。

なぜフランク王国は長生きしたのか?

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まず、フランク王国の成立~発展にかけての流れを確認していきます。
フランク王国最初の王朝は メロヴィング朝 (481~751)。建国者は クローヴィス でしたね。クローヴィスはローマで正統とされた アタナシウス派に改宗 することで、 カトリック教会と密接な関係を築きました。

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また、フランク王国の時代には 宮宰 という役職が大きく台頭し、後に カロリング家 がこの役職を世襲するようになります。732年、宮宰の カール=マルテルトゥール・ポワティエ間の戦い でウマイヤ朝を撃退し、 キリスト世界の守護者 として評価を高めました。これが後の カロリング朝 につながります。

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751年になると カロリング朝 が始まります。カロリング朝を創始したのは ピピン という人物。彼は メロヴィング朝 を打倒して建国しました。さらにピピンは756年に ランゴバルド王国 を攻撃し、獲得した ラヴェンナ地方 をローマ教皇に献上したのです。ラヴェンナ地方は 後の教皇領の起源になります。

西ローマ帝国の復活!?

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続いて、カール大帝の治世について確認していきます。
フランク王国の全盛期を実現したのは カール大帝 (シャルルマーニュ)でした。彼は周辺諸国との戦争を繰り返し、旧西ローマ帝国領土を次々と自らの支配下に組みこんでいきます。

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例えば北イタリアでは ランゴバルド王国 を征服し、北ドイツではゲルマン人の一派である ザクセン人 を平定、さらにはアジア系遊牧民の アヴァール 人を撃退しています。

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また、内政面では地方の有力者や家臣を に任命し、地方行政を担当させるとともに、 巡察使 をこまめに派遣して伯の働きぶりを監視させました。さらにカール大帝は 文化の振興 にも熱心で、古典文化( ローマ文化 )の復興を大いに奨励します。さらに、イギリスから神学者の アルクイン を招くなどしました。ちなみに、カール大帝が主導した文芸復興運動を カロリング=ルネサンス といいます。

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こうしてフランク王国は、カール大帝のもとで、政治・文化の両面で旧西ローマ帝国の後継国家たるにふさわしい発展を遂げました。その発展を見たローマ教皇 レオ3世 は、カールにローマ皇帝の帝冠を授け、西ローマ帝国の再興を託したのです。この出来事を カールの戴冠 と呼ぶこともおさえておきましょう。

答え
高校世界史 中世ヨーロッパ世界の成立2 練習
フランク王国の発展
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