高校世界史B

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5分でわかる!武帝の対外遠征!張騫が起こした奇跡

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この動画の要点まとめ

ポイント

武帝の対外遠征!張騫が起こした奇跡

高校世界史 中国の古典文明4 ポイント3 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの3つ目は「武帝の対外遠征」です。
先ほどは武帝の国内政治について学習しましたが、今度は 対外遠征 です。
「武帝」という勇ましい名前に恥じないくらい、彼は数多くの戦争を行いました。

打倒、匈奴!張騫を大月氏に派遣し、同盟締結を目指す

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紀元前139年、武帝は 張騫 (ちょうけん)という人物を 大月氏 に派遣しました。
大月氏と同盟を結び、 遊牧民族の匈奴を挟み撃ちしようとしたのです。
前漢にとって、匈奴は強力なライバルです。
ポイント1で紹介しましたが、初代皇帝の 高祖 も匈奴と戦い敗北しています。

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同盟を結ぶため、大月氏を目指す張騫。
しかし、一つ大きな問題がありました。
実は、前漢の人たちは 大月氏がどこに位置するのか知らなかったのです。
うわさでは聞いているものの、居住地についての確実な情報はありませんでした。
大月氏を探すため、張騫はとりあえず西に向かいます。
こちらを見てください。

高校世界史 中国の古典文明4 ポイント3/地図のみ/書き込みあり

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斜線が引かれている部分は前漢の領土です。
張騫はとにかく西に向かい、最終的に前漢に戻ってきました。
なんと、彼の旅は 13年の月日を費やした といわれています。

同盟締結は失敗に終わるも、西域の情報が前漢に伝わる!

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張騫は困難を乗り越え、ついに大月氏にたどり着きます。
彼は意気揚々と同盟を申し出たものの、なんと 拒否されてしまいました。

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皇帝の命を受けて旅をしている以上、手ぶらで帰るわけにはいきません。
張騫は近隣の国々にも同盟をお願いしますが、 いずれも拒否されてしまいました。

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結局、同盟を結ぶことはできないまま、張騫は前漢に帰国します。
彼を出迎えた武帝は、張騫を責めるようなことはしませんでした。
むしろ 道中で彼が得た情報に興味津々だったのです。

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当時はスマホもインターネットもなく、国外の情報は入手困難でした。
彼が道中で得た情報は、前漢にとって非常に貴重だったのです。
張騫がたどった道のりは、 のちにシルクロードと呼ばれる重要な貿易ルートとなりました。

匈奴討伐に成功!西域に進出

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紀元前129年、武帝は匈奴の討伐に成功します。
東西交易路の重要地を確保し、 西域 へと進出していきました。
紀元前111年には、中国南部からベトナム北部に位置した 南越 という国を征服し、 日南郡 を設置しました。

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紀元前108年には 衛氏朝鮮 を征服し、 楽浪郡 などの 朝鮮4郡 を設置しました。
衛氏朝鮮は、 衛満 という人物が朝鮮に建国した国です。
このように、武帝はどんどん領土を拡大していきました。

1日に1000里も走る馬!?

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張騫の情報をもとに、武帝は 汗血馬 を獲得しました。
汗血馬は、古代中国で名馬と称された馬の種類です。
とても足が速く、1日に1000里を走り、血のような汗を流す といわれました。
中国における1里という単位は、だいたい500メートルを表すので、
1000里は約 500キロメートル です。
確かに「名馬」ですね。

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以上、武帝の対外遠征について学習しました。
張騫の派遣や匈奴の討伐は、テスト頻出の重要事項です。
しっかり覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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