中学歴史
5分でわかる!桓武天皇の政治
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この動画の要点まとめ
ポイント
なくよ(794年)うぐいす平安京 桓武天皇が京都に都をうつした理由とは
これでわかる!
ポイントの解説授業
桓武天皇、平安京へ遷都
794年、桓武天皇は京都に都を遷しました。 平安京 という都です。
なぜ、桓武天皇は遷都したのでしょうか?
実は、奈良時代後半には 奈良の寺院や僧などが力を持っていて、天皇の政治に口出ししていました。
そうした仏教勢力から離れるため、平安京に都を遷したのです。
坂上田村麻呂を「征夷大将軍」に任命
当時、東北地方には 蝦夷 と呼ばれる人々が住んでおり、朝廷の支配が及んでいませんでした。
桓武天皇は東北地方を支配するために、 坂上田村麻呂 という人物を 征夷大将軍 に任命したのです。
「蝦夷を征服するための将軍」 と覚えておきましょう。
最澄と空海を保護 寺院や僧の力をおさえる
桓武天皇は、 最澄 と 空海 という2人の僧を保護します。
最澄は 比叡山の延暦寺 (滋賀県)で 天台宗 という教えを始め、
空海は 高野山の金剛峰寺 (和歌山県)で 真言宗 という教えを始めました。
延暦寺も金剛峰寺も、不便な山奥にあります。
桓武天皇は、政治に口出しせず、都から離れて修行に取り組む僧を保護したのです。
平安時代1のポイント1は、「桓武天皇の政治」です。